パンクロックの思い出



気がつけば随分前の出来事だけど。

自分はパンクロックリアルタイム世代で。

ピストルズ関係のレコードは、ゴッドセイブザクィーン以降、ぜんぶオリジナルで持っていたほどで。

先日、寝転びスマホしながら、音だけ聞いてたテレビで、黒木華さんが自身の意外な趣味として、セックスピストルズの大ファンです。

反抗する姿がカッコいい。

無邪気に絶賛してたけど。

現実はマルコムとヴィヴィアンの息子の指摘通りで。

ピストルズがギグのため、立地のいい公民館の使用を申請したら、公序良俗を乱すような反社会的バンドに、国の公共施設は貸せないと断られた。

表現の自由に対する国家権力の弾圧だ!

ジョンは怒って、当時中学生の自分も、そうだそうだと憤ったけど。

ピストルズ解散後、P.I.Lを結成したジョンが。

ダメ元で同じ公民館に貸し出し申し込みをしたら、肩すかしを食うほどあっさり借りられた。

その反抗精神には、公権力も震え上がるほどの、超過激なパンクバンド。

マルコムのイメージ戦略、演出による大嘘で、そもそも貸出し申請すらしていない、完璧な八百長、やらせだったのだ。

ピストルズは解散後もめちゃくちゃで、ギターのスティーブは読み書きが出来ない、ポール・クックの本業はドラムではなく泥棒。

ジョンと二手に分かれ、酷い罵りあいをしてたのに、金のためにあっさり再結成。

喧嘩別れした初代ベースのグレンも呼んで、サマソニに来日したり。

ジョンは昔あったFMファンの訪問取材で、自慢のオーディオを披露したことがあり。

金が入るたびに部品を買い足し、自分で組み立ている。

レコード棚にパンク系は一枚もなく、クラプトンやイーグルス、AORばかりだったとか。

なんか変だな。

予感は、P.I.Lで初来日した時のライブで、決定的になり。

ピストルズを全て葬り去った、まったく新しいニューウェーブロック。

なはずなのに、アンコールでまさかのアナーキインザUKを披露。

当時はジョンがただのパンク芸人だなんて知らなかったから。

ああ、パンクロックの反抗って嘘だったんだ。

取り壊しが決まった中野サンプラザホール。

その中央通路を、パンクロックに、ジョンに裏切られた。

自分と同じ気持ちのパンクキッズが、涙目でジョンに背を向け、何百人も小走りで帰って行ったのを、今も覚えている。

あの日以来、25年後にライブハウスに通うきっかけになった、インディーズバンドに出会うまで。

あの時の自分は、そのあとロックが聞けなくなるほどの、青春の大トラウマを受けたけどw

ピストルズの斬新で見たこともないカッコいいファッションのデザイナー。

最近、逝去されたヴィヴィアンウェストウッド。

ピストルズは日本でいえば昭和時代だから。

ピストルズの演出と売名に女遊びで、まったく家に帰ってこない夫マルコムに代わり。

ヴィヴィアンが服をデザインし、ブティックを切り盛りし、ワンオペで子育てもしていた。

どこがパンクやねん!

悲しくなるくらいの、みっともないエピソードばかりで。

だから壮大なる猿芝居だった、セックスピストルズの舞台衣装を。

マルコムの息子がテムズ川で焼き払った時は、うらぶれたパンク芸人、みっともないジョンをあざ笑いながら、一人、快哉を叫んだものだけど。

なんでこんなことを思い出したか?

元迷惑ユーチューバーが、予約していた結婚式場を、自分の悪名に恐れをなした運営に、無断キャンセルされた。

月収百万円の、自由出勤フリーターのトピ見て。

比べるまでもなく。

こいつと違って、偉大なパンクの詐欺師。

マルコムマクラーレンのブック(演出)は、知性と品があったからこそ、あの時の若者も、今どきの若者も、騙されちゃったんだな。

なんて思ったのでした。

今日のお酒。

昨日、まさかの雨で、久々に朝昼晩と、規則正しく飲んでしまい。

まあまあしんどいんで、日付が変わるまで我慢します。


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