No.9 西尾匡弘氏〜CO2対策技術〜
科学者の研究成果を昇華させて政治政策へ、そして社会を動かす原動力に活かすことが科学技術の使命でもあります。21世紀は明るい未来と期待したのですが、世界は紛争やパンデミック、貧困や景気低迷などで様々な不幸が広がっているようにも感じられます。こんな時代でも灯台のように未来の道筋を照らす価値基準がSDGsに示されています。中でも気候変動や地球環境の課題が重要視されており、地球温暖化を左右するのがCO2の排出量の制限です。新たな南北問題ともいえる先進国と発展途上国では、エネルギー消費について抑制と拡大が相反しています。排出されたCO2を相殺してゼロとするための技術論がゼロエミッション社会というテーマですが、化石燃料を燃やした炭酸ガスを地層や海底に埋め戻そうという技術がCCS(Carbon dioxide Capture and Storageの略で、「二酸化炭素回収・貯留」)と呼ばれるものです。この分野を研究と政策面からリードするのが今日のインタビューでご登場いただいた西尾先生です。
――科学に目覚めたのはいつだったのでしょうか?
「1962年東京生まれですが、すぐに神奈川県に引っ越しをし、金沢文庫で小学校から大学や大学院まで過ごしました。小学生で海外短波放送に出会ってからBCLベリカードを集めたりしていました(BCL:Broadcast Listening、海外での受信した記録を報告することで提供される放送局からのレター・カード)。 高校では化学に興味を持ち、横浜国立大学工学部化学工学科へ進学しました。化学プラントにつながる単位操作を学び、大学院では旋盤やガラス細工まで応用して実験器具を自作するほどでした。」
――CO2排出問題に関わったのは、いつからでしょうか
「大学を卒業後、工業技術院機械技術研究所に就職しました。当時は地球温暖化が話題となり、IPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change)の第1次報告書が出た時期です。研究所ではこのテーマを与えられ、先輩たちと共に学び始めました。解決策としては海洋隔離の考え方があり、この方面を特に研究していました。後に、「海洋隔離」は主流ではなくなってしまったのですけどね。」
――様々な肩書をお持ちで多方面でご活躍されていますね
「入所して6年目に当時の通産省に出向しました。CO2大量隔離技術の先導研究するためでした。97年には海洋隔離プロジェクトがスタートし、ちょうどCOP3京都議定書が採択された時期です。研究成果を毎年定期レポートして発行し、2002年まで関わっていました。その時、環境保護団体のグリーンピースなどにCO2海洋投入実験を反対され、ハワイでの実験計画も頓挫しています。それから、陸地での大陸貯留研究へシフトしました。」
「2004年には経産省への2度目の出向、IPCC第三作業部会の日本事務局を担当し、CCS特別報告書にも関わり、本格的にCCS地中貯留の政策づくりに携わるようになったのです。ロンドン条約締結国会議などの政策にも関わりました。2013年には内閣府にも出向してエネルギー政策、環境政策にも関わりました。」
――若き後進へお願いします
「とにかく研究開発は時間がかかるし、大きな壁にぶつかるものです。研究を続けるにも予算の獲得や成果報告の審査もあります。歳を重ねると現場から離れざるを得なくなり、本来の研究時間がどんどん削られてしまいます。いろんな課題が連続して押しかかってきますから、それを乗り越えるためには興味関心を深めることが大切です。研究の合間のストレス発散も大事です。最近は機会が減ってしまいましたが、私はカラオケが大好きで、大声で歌うことでいろんなしがらみを忘れることができるものです。日本は2050年までにカーボン・ニュートラル実現を決断しましたから、企業との取組が本格的になってゆくでしょう。活躍の場面はたくさんあると思いますよ。」
<取材日2022/03/07>
主な著書:(NTS書籍紹介にリンクしています)