君の罪と免罪符

ここ数日、テレビをつけると必ずTOKIOの山口さんの報道が流れていた。私はそれを見ようとは思わなかった。悲しい顔しか映らないから、浮かばないから。

この記事は、2年前に書こうと思っていた。けど、忙しかったりタイミングが合わなかったりと放置していたけど、この報道を機に書いてみようと思う。

約2年前、私の推しているグループでも不祥事があった。飲酒運転で事故を起こしたのだ。日本でのファンミーティングを控えていた。そんな中、彼は罪を犯した。それを知った私は、ただ「しにたい」と頭の中で繰り返していた。涙は出なかった。ただ、頭がぐらぐらして、何も考えられなくなって、なぜだかわからないけど死にたくなった。そして、最悪だと思うのだけども、「他人の命を奪う事故じゃなくてよかった」と思う自分もいた。

そんな罪を犯すような人じゃないと思った。兄貴肌で、泣いているメンバーを抱きしめるその逞しい腕と、愛らしい笑顔が大好きだった。「僕たちもっと遠くへ行こう」とリーダーの手を引くその姿に、私は涙した。メンバー思いのお兄さんだった。その反面繊細で、以前暴力事件を起こしたこともある人でもあった。だけど、若気の至りだと思っていた。もう更生したものだと思っていた。

その後、彼は長い、いつ解けるかわからない謹慎期間へと入った。日本のファンミーティングには当然来なかった。日本に来たメンバーは何事もなかったかのように楽しませてくれたけど、心から楽しめずに終わってしまった。話題に触れないことが、一番怖かった。初めから居場所なんてなかったようだった。

どんなに罪を犯そうとも、嫌いになれなかった。したことは悪いことなのだけど、その罪が彼の全てではないことを私は知っているから。どうか彼の全てを否定しないでほしいと願っていた。メンバーを抱きしめる腕だって、ふっくらとした笑顔だって、あれは偽物じゃなかった。

だからどうか許してほしい、と思っている。だけど何をもって「許す」なのだろうか。誰が許すのだろうか。世間?ファン?事務所?メンバー?答えは多分ない。きっと「絶対に許さない」と言う人もいるから。そちらの声のほうが強いから。だけど、そんな人に聞いてみたい。「あなたの肉親が罪を犯しても、そうやって断固として『許さない』と言い切れる?」。そもそもなんで世間から許されなきゃいけないのかも、意味が分からないけど。もしも裁判官気取りなら、やめてほしい。私の心の傷が膿んでしまうから。

許して欲しい、って、甘いのかな。「こんなにいいところもたくさんあるんですよ」って言っても、罪を犯したことには変わらないから、もうその人は悪人になるのかな。悪人でも、愛してしまった時はどうしたらよいのだろう。愛した人が悪人になってしまったら、嫌いになれなかったら、どうしたら。そんな私も罪なのでしょうか。叩かれる彼を見ながら、心を痛めるしかないのでしょうか。傷つけばよいのでしょうか。

今でも解けない謹慎のおかげで、私は未だに彼の愛らしい笑顔を見れていない。今なにをしているんだろう。元気かな。笑っているかな。笑っていてほしいな。生きているなら、それでいい。誰も許さないなら、私が許すから。

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