優しさを武器に生きていくこと

私は諸刃の剣を武器にしている。

その言葉の本当の意味は「自分も相手も傷つける恐れのあるもの」なので、ちょっと意味合いは違ってくるかもしれないけど、私が武器にしている「優しさ」は時に相手だけでなく、自分自身も傷つけて終わることがある。

先日仕事でちょっといろいろありまして。長いし複雑なのでざっくり説明すると、正論である提案をのんだものの、最終的に別の人に反されてしまい、なんとなく反されることわかっていたのに、提案をのんでしまった自分自身の選択を後悔してしまい、勝手に追い詰められて、会社でもうすっちゃかめっちゃかになり、泣きべそかきながら社内にいるお母さん(上司)に話を聞いてもらった、というのがいきさつ。

まず「あなたの選択は間違えてない」と諭された。「でも提案を反されてしまった。あの人の性格を考えるとそうなると思ってたのに」と泣きながら話すと「どうしてあの人の性格の話になるの?」と。「どう考えてもその提案が正しいのに、あの人の性格に気を使う必要ってあるの?」

その言葉で、私の胸のもやもやがスコンと落ちた。周りの人の気持ちや性格、空気を読みすぎて、私は大事のことを見失っていた。そして、危うく周りの人を傷つけそうになっていた。

「優しいのはいいことだけど、目的を見失わないこと」
「もっと自信を持ちなさい」

最後にそう励ましてくれた。

人の気持ちを汲もうという優しさは、時に殺さないといけないときもある。というか、もはやそれは「優しさ」といえるのか?という疑問さえ浮かぶ。

多分私はこの武器と一生付き合っていく。だったら、この武器を生かすために、私には何が必要なんだろう。上手に付き合っていくために、一生をかけて考えていかなきゃいけないテーマなんだと、最近気づいた。下手すると傷つける。傷つけられる。食い物にされる。甘やかしてしまう。だけど、これが武器だって言ってもいいじゃない。大切な人を守れる防具兼武器。

自信・軸・目的。必要なもの、不要なもの、取捨選択しながら強くなっていきたい。


余談だけど、最終的にその提案は通った。私の涙は無駄じゃなかったと、背中を押してもらえた気がした。

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