誰の言葉を信じるべきなのか

先日、ある音楽家の方と仕事をしていた時にいくつか連発された言葉があった。

「枠にハマりたくない」

「枠にはめようとされる」

その方は自分の立場やスタンスもある中、自分の中にある正直な自分の気持ちみたいなものにも気づいていてこのままでは枠にはめられて自分というものが消滅してしまうと言っていた。

とはいえ、人間は常に成長段階にあるとしたら、自ら外界とシャットアウトして出家生活のように自己との対話だけを永遠と続けても仕方のないことだし、言ってくれる言葉のありがたさも重みも充分に感じていた。

他社との付き合いの中で自分が自分である為に今何をどのように受け止めていけばいいのかそんな相談だった。

これに関して凄く共感した。

これまでに励ましややさしさ、時には厳しい言葉を何度も聞いてきたが、一つだけ分かったことがあって

「アクションなき言葉は単なる音と同じ」ということ。

つまり行動してなんぼ、逆に言えば言葉に意味を見いだすかどうかは自分次第。

相手がどんなに自分に対して語りかけてきても自分自身がそれを行動に移さなければ残念ながらその言葉、その時間は完全に無駄である。

結論、言いたいことは一つ。

「自分の道は自分で決める」

これに尽きる。

誰かに何かを言われた。ショックを受けた。落ち込んだ。

そんなサイクルはナンセンス。

自分という人間に対して時間をさいてくれて、なおかつ選択する権利までくれていると認識するべきだと思う。

その言葉を行動に移すかどうかも結局決めていいわけで、自分が嫌だと思うならやらなければいい。

それだけのこと…

人によって左右されてしまう自己を形成していると感じているなら今すぐに思考回路を見直すべきである。