日記(2021/09/20) #まじ日

「NO RULES(ノー・ルールズ) 世界一「自由」な会社、NETFLIX / リードヘイスティングス他」読了。
「82年生まれ、キム・ジヨン / チョ・ナムジュ」読了。

ルールを作る側の人間なので、ルールがないというのはどういうことなんだろうかと思ってノールールズを読んだ。考え方や取り組みはおもしろかったし、事例も豊富で読みやすかった。アメリカの企業でも意外とウエットなやり取りもなされるんだなぁと思った。もっともっと感情が排除されてんのかと思っていた。
ルールをなくすためにまず最初に必要なのが、「能力密度を高める(優秀な人のみで社員を構成する)こと」だったので、無理じゃんと思った。ドメスティック企業で、優秀でない人を辞めさせるのも難しいだろうし、そもそも、トップ、しかもかなりのトップが方針を決断しない限り、無理だった。
こういう、社長とかそのレベルの意思決定が必要なことが書かれているビジネス書を読んでどうしたらいいのだろうか。ティール組織の分厚い書籍を読んだ最後の最後に「これはトップの意思決定が必要。文字通りトップ。部長レベルじゃ意味なし」と書かれていた時は愕然とした。最初に言っておいてくれ。そういう意味では、ノールールズは最初に能力密度を高める話が出てくるので親切かもしれない。
末端社員が取り入れられるとすれば、最後のローカライズ部分か。国民性や文化の違いでコミュニケーションを変えることが書かれていたが、突き詰めれば、1人1人に対しても、同様のことがいえそう。歩み寄りとチューニングを怠らないこと。
あと、ルールを作る側の人間として言いたいのは、別にこちらもルールを作りたいわけではない。作らないと、とんでもないことが起こると思っているから作っている(オペレーション工数がバカにならないことも含む)。でも、意外となくしてもいいのかもしれないな。なくしたいですか?と聞くとNoと言われたりはするんだけど。ルールを守らせることで権威を示したい人もいるからな。

キムジヨンの方は、体力のある時に読もうと、ずっとおいてあった。今日は連休なので体力があった。
ジワジワと削られていく感覚がつらかった。ジヨンが夫に突きつけた「子どもが産まれたら、あなたは何を失うの?」という質問は核心をついていると思う。
私の人生で幸福なこと上位に、比較的、女性だから虐げられたり、理不尽な役回りをさせられた経験が少ないことだと思う。意識的にやってこなかったとも言える。
確かに、年始祖父母の家にいくと、台所に立ち、食器を出したり片付けたりするのは、母と叔母であったし、声がかかるのは従兄弟ではなく私だった。が、意味わかんないなと思っていたので、「あなたたちだけ座っているのはおかしい」と言って父を引っ張り出したりしていた。そういうことをしても叱られたり顔をしかめられたりしない環境は恵まれていたのだと思う。なんというか、体験として出会う前に、知識としてフェミニズムに触れてしまっていた。違和感を覚える前に、おかしいことだと「知って」いたのは大きい。
と思って、ふと気づいたのだが、そういった理不尽な役回りを他の女に押し付けてきただけの可能性はある。わかりやすいところで言うと、新卒のときも飲み会でサラダの取り分けはしなかった。同期の女の子はしていた。「私はそういうのやらないんで」って言って見てた。止めはしなかった。声もあげなかった。ただそれだけなのかもしれない。
そばでそういう事例は見てきたし聞いてきた。だから、実体験はあまりないけれど、キムジヨンの感覚はとてもよくわかると思った。私ですらそうなのだから、この本によって気づく人は大勢いるだろうし、思わず泣いてしまう人がいるのもよくわかる。
韓国は兵役もあるから、フェミニズムの整理がもう一つ難しそうだなと思った。とはいえ、結局は社会構造であり空気感なのだ。日本の男女平等を妨げているものはなんなんだろうな。

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