日記(2023/02/22) 「ケガレ / 波平恵美子」読了 #まじ日

「ケガレ / 波平恵美子」読了。

文化人類学、民俗学的観点から、日本の”ケガレ”にはどういうものがあって、どういうものとされていたか、というようなことが論じられていました。
状態にはハレとケがあるとされていますが、さらに、ケガレっていうのもあるのでは?という論のようです。ただ、ケガレってこういうことだよねという共通見解はまだはっきりとしていないようで、本著は、ケガレ=ケ枯れ(日常からさらにエネルギーがなくなった状態)であるという説に異を唱える形で、ケガレとはなんなのか?が綴られていました。

例えば、死のケガレが一層危険な状態であるということは広く一般的で、特に直接遺体処理をする人などは、ケガレを浴びるので、エネルギーを補給したり、ケガレを移して捨てているかのような儀式が残っていたりする、とのこと。
例えば「さかさま」を強調するものが多い。逆にそういった儀式がケの状態で行われることに忌避感があるということ。箸で直接やりとりするとか、北枕とか、浴衣の左右とか、確かに身に覚えがあるなぁと思いました。

他に、出産、月経、境界、山などにケガレの考え方や儀礼が残っているとのことでした。それはさ必ずしも理由や合理的な説明がつくものばかりではなさそう。つまり、物理的に危ないからケガレという考え方で避けたといった単純な説明がつくものばかりではない。もっと感覚的なものなのでしょう。
さらに、例えば、女性の地位が低いから、出産や月経の不浄観ができたと必ずしも言えるわけではないようで、短絡的に物事をつなげるのは、却って見えにくするんだなと思いましたし、昔はそういう感覚があり、そういうものだとされてきたことを批判するのは、難しいんだなとも思いました。だって、そうなんだから、仕方がない。
とはいえ、科学が進歩した現代において、無根拠に「そういうもの」を選択し、結果不合理や不利益を被るのはたまったものではないので、それはそれ、これはこれと、切り分けることが必要なのだと感じました。

にしても、民俗学なんて、誰も答えを持っていないし、実験するわけにはいかないし、いかにそれらしい説明ができるかでしかない。不思議な学問だなと思いました。文学や人文社会系の学問なんて全部そうかもしれないけど。
まぁでも、おもしろい話です。

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