日記(2021/09/18) #まじ日

舞台、赤シャツを見た。
坊ちゃんを読んでいたのもこのためである。
坊ちゃんに出てくるヤなやつ「赤シャツ」視点で、物語を再度語る戯曲である。もちろん夏目漱石の作ではなく、マキノノゾミさんという方が弁護的に描いたものである。

坊ちゃんを読んでいるときは、赤シャツが本当に狡くて、世間ばっかり気にしてるいけすかないやつだと思った。でも、舞台赤シャツを見たら、いろんなところに気を遣い、勝手な思い込みで誤解を受けながらも、自分にはない特性をもつ坊ちゃんや山嵐に愛情を寄せ、人のために動くような人だと思った。確かに思い返せば、坊ちゃんは主観的で、作中で書かれていることも、全て坊ちゃんの思いでしかないのだった。それなのに、坊ちゃんを読んでいるときは、視点が完全に坊ちゃんと同化していたのだから恐ろしい。坊ちゃんや山嵐が「赤シャツは自分たちを貶めようとしているに違いない」と言ったことを、そのまま受け止めてしまった。だから、最後2人が赤シャツに天誅をくだす場面ではスカッとしたし、勧善懲悪すら感じた。しかし、赤シャツには赤シャツの論理があり、ストーリーがあった。「何度言っても信じてもらえない」のは、ひとえに、坊ちゃんと山嵐の思い込みが激しすぎるせいだ。殴られてボロボロになる赤シャツは本当にかわいそうだったし、「男らしくあれれば」と呟く姿には、鼻の奥がツンとなった。

昨日読んだ話が目の前でスルスルとひっくり返されていく様子は、ある意味とても快感だった。そして、教訓的だった。どちらか一方の話で判断をしてはいけないなんて、痛いほどわかっているのに、まだ学んでいない。こうにちがいないという物語がわかりやすければわかりやすいほど、簡単に信じ込んでしまう。私は人を解釈してしまう癖があるので、気をつけないといけないな…と思った。

「坊ちゃん先生や堀田先生(山嵐)のようなまっすぐで損得が考えられない人は、50年後100年後いなくなる。自分の得になることばかりを考え、狡猾にうまく立ち回れる人ばかりになるのであろう」と言った言葉にはドキッとした。まさに今が、50年後100年後。たしかに坊ちゃんには生きにくい世の中だろう。損得、利益、数字。何が正しくて何が大切かが人に決められてるなぁと感じることもある。


とか思ってたら、Podcast超相対性理論で、数字(測れるもの)の限界について話されてておもしろかった。
超相対性理論は今日から聴き始めたんだけど、おもしろかったので聞いていこうと思う。身体論とかだいすき!


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