RHCPト歩ンダ我ガ半生ヲ想フ
最初に聴いた時から20年以上、今回初めてレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブに行きました。大変に、それはもうおいそれと言葉にできない素晴らしさだったのですが、何というかこれを語るには、自分がどういう風に聴いてきたのか、というところから始めないときちんと成り立たない気がして、最初から書いていきます。半ば自分のために書くような感じなので、他人が読んでもつまらないものかもしれないけど。
中学生の時分、金曜日の深夜に福岡ローカル局では「Moonwalkers TV」というのをやっていて、その番組はMCも何もなしにただただ洋楽のPVを4-5本流すだけだったんですけど、ネットもまだあまり普及してなかった当時はこれで新しい音楽を知れるのがほんとに楽しくて、せっせとVHSに撮り貯めては繰り返し見てました。当時はこれとNHKの爆笑オンエアバトルをコレクションするのが生きがいだった。
この番組で観て、こんなカッコいいのもあるんだなぁ!とすごく衝撃を受けたのがレッチリの「By the Way」で、もう何度もVHSを見返したし、中学生で少ない小遣いをやりくりしてアルバム『By the Way』も買ったけど、当時は「By the Way」と「Can't Stop」くらいしか響かなかったように思う。By the Wayツアーで福岡ドームに来るらしいというのも地元のTSUTAYAのポスターで見て知ったが、中学生ではまだ自分でライブに行くなんてことは想像もつかなかった。『By the Way』も昼ご飯をヤマザキのチョコチップスナックにして、一日2本だけに節約することで昼食代を浮かせてどうにか費用を捻出して買ったような按配だったもんで。
時は下って自分も高校生となり、バンドをやってる奴らと付き合うことが多くなったが、当時の自分の周りでは、ほぼ全員がレッチリを聞いていた。当時皆が夢中になってたのは『Mother's Milk』と『Blood Sugar Sex Magic』(以下BSSM)、それにDVDの『Live at Slane Castle』あたり。例に漏れず自分も夢中になり、親にドラムパッド(電子じゃなくてほんとにゴムパッドだけのやつ)を買ってもらい、『BSSM』の一曲ずつに合わせてひたすらドラムパッドを叩く日々を過ごした。この頃の自分の聖典はドラムのチャドの教則DVDに収録されてるベースのフリーとのセッションで、これがムチャクチャにかっこよかったんですよ!!今だに何も考えずにドラム叩くとハネさせちゃうのは、スタートがこれだったからだと思う。
そうやってドラムを合わせられるようになってくるとやはり今度はベースもやってみたくなるもんで、その頃はバイトもしてたし懐もやや暖かい、そんじゃベース買うか!となったのだが、フリーが使ってるMusicmanのStingrayって当時20万以上するんですよね。とても買えやしねぇ、ってぇことで探し出したのが、OLPっていう謎のメーカーの、形だけStingrayのパッシブベース。パッシブなんで当然音は本家には全く似ても似つかないんですけど、あのフリーが使ってるベースと同じ形!ってことが嬉しくて、それからスラップベースをしこたま、それこそ爪の形が変わるくらい練習しました。ピックガードはちゃっかり本家のやつに変えて、黒のボディに黒のピックガード、ネックはメイプルでした。その頃コピーしてて一番楽しかったのは、やっぱり「Show Me Your Soul」かなぁ。あの曲めちゃめちゃかっこいいのにアルバムに入ってないんですよね。
大学に入ってからは何だか生きる理由が分からなくて辛い日々を過ごしてたんですけど、そんな時の救いもやはりレッチリで、毎日帰ってはベースアンプにiPodを繋いで、アルバム『By the Way 』のしんみりした曲にひたすら聴き入りながら、湯呑に焼酎を注いではベースをコピーする日々。特に「This is the Place」から「Don't Forget Me」の流れは、ほんとにこの曲がなかったら、今自分はこうして生きていないように思う。後は『BSSM』の「Breaking the Girl」や「My Lovely Man」の美しさにもものすごく救われた。「My Lovely Man」なんて、あんなに単純なベースラインなのに何故あのように美しいのか。何故みんな、いつか死ぬのに生まれて生きたり産んだりするのか。しかしながらその不毛な営みのなかで生まれたこの曲がここまで美しいのならば、世界はこれでいいのかもしれない。そんなことをグルグルグルグル考えながら延々聴いてました。その頃はマジで、ベース抱えたまま玄関でご飯食べたりしてました。ちょっと頭がヘンだった。
同曲ラストのベースで同じ音が「ボンボンボーン」と響いて、これに合わせてアンソニーも「ボンボンボーン」と小さく呟くところは、僕はこの世界における最高に美しい瞬間の一つだと思ってます。
その後苦汁を啜りながらも何とか人並みの場所まで戻って来れまして、就職でもするか、といった頃にジョンがソロで『The Empyrean』を出してこれまた毎日毎日聴いてたり、あとはジョンが薬でズタズタになって抜けた後のソロ作を、一つ一つ辿るように聴きながら帰ってくるまでの道程を追走したりと、ほんとにレッチリは病める時も健やかなる時も、一緒に過ごしてきた音楽なんですよ!それが何だ!え?来日公演だ!?そんなもん、大枚はたいてでもタイ米転売してでも行くしかないでしょうよ!!ふざけんな!!!!
うっかりしていてレッチリTシャツを買い忘れたので、当日は赤いガムテで自作して着て行きました。
それは何と、何と美しい瞬間だったろうか。かつて神様に祈るように思いを馳せて、それがそこに在ることが救いとなっていた世界が、(一方的に)よく知ってる人達によって目の前で創造されていくところに立ち会えるとは。
もう今はどうしているかも分からない友人たちとあの頃夢中になっていたものは、やっぱり素晴らしかったんじゃないか。毎晩部屋の隅でベースアンプを抱きかかえるようにして聴いていたものは、今でもこうして美しいままじゃないか。酸いも甘いも含めて自分の人生をやさしく肯定できたような、嬉しいような悲しいようなよく分からない感情になって、ひたすら泣きながら観て、聴いてました。この東京ドームに何千人、何万人いるのか分からないけれど、それぞれ皆が自分みたいに自身の思い出を持ってここに来て、今こうやって聴いているのだとしたら、そんなに素晴らしい、美しいことはないと強く思いました。
チケットを買った時には、もうみんなおじいちゃんだから昔みたいに元気はないかもしれない、昔みたいに自分にも響かないかもしれない、と思ってましたが、全くそんなことはなくて、大好きだったものが今だにそのままそこにあるような、素晴らしい演奏だった。
でもよく分からないけど、終演後、自分の中でレッチリには一つの区切りがついたような気持ちになりました。何故か分からないけど、もしかしたらもう聴くことはないような、ここに新たに付け足すものは何もないような気持ちになりました。
こうやって大切なものを箱に入れて、自分の外にパッケージングしていくことで、人は死んでいく準備をしてるのかもしれない。何となくそんな風に思った。そしてそれは、生まれて死んでいくというプロセスの中では必要なことで、そんなに悪いことではないのかもしれない。まだうまく咀嚼しきれていないけれど、そんなライブ経験でした。
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