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2024/08/05(暴言と謝罪の話)

娘さんが喘息が出ているので本日は自宅でゆるりと。
夫に任せて私は出社。
娘については、少しずつ暑さによる疲れが蓄積している感じがある。
保育園も三分の一位が何らかの理由で欠席しているので、無理せずのんびりさせようと思って。
まぁ、保育園の欠席者増は夏休みの絡みもあると思うけど、手足口とヘルパンギーナもしっかり流行っている模様。

娘、喘息やら発熱でちょこちょこ休むのだが、病名がつく感染症にはかかったことがなく、巧みに回避しているのか、それとも。
あ、突発だけは罹ってるな。

健康に生きるって大変、大変。

この手の話にはあまり触れないんだけど、昨日今日あたりで話題になってる某芸人の件、なんというかどストレートな「ザ・いじめっこ」って感じの言い回しがしんどくなるし、そんな言葉がいい年した大人(だよね?)から飛び出してくるってのに衝撃を受けてる。
「生きてるだけで偉いわけ無いだろ。善人ぶるな」とかのほうがまだ理解が及ぶ(良くはないです)
ちなみに「まさかあの人がこんなことを言うなんて。信じられない」という感情はないです。常日頃からああいう物言いをしてるんだろうな。(これは私が「そう感じた」って話)

言われた側が、「悲しい」って表明したのは、ほんとよく言ったね……という感じ。
案の定「お笑い芸人が笑いに昇華できんでどうする」みたいな意見を散見するけど、なーんで斬りつけられているのを笑い話にしないといけないんだよ、正気?
あとツイッタでも言ったけど、謝罪は言った側の救済でしかないから、そんなもんで本質的なところは何も変わらんどころか、より悪いまであるんだよな……。

でも例えば、自分の子供が他者にそういう言葉を吐いたとして「謝らなくていい」って思うか?って言われたら、そうじゃないんだよな。
親としては謝罪を促すとは思う。謝ったって一度吐き出した言葉がなくなるわけじゃないのにな。

大人「ごめんなさいしようね?」
子A「ごめんなさい」
子B「いいよ」

このやり取りって幼児の間では気が遠くなるほど頻繁に交わされてるんだよな。避けようがないし、ある程度は必要なプロセスなのだとは思う。ただ、これで培われてしまうコミュニケーションのテンプレ的なものってすごく根深いと思ってて。

家で娘が「ごめんね」って謝ってくる場面もめちゃくちゃあるけど、心情的にそう易易とは「いいよ」って言えないなという場面では「娘ちゃんのごめんなさいの気持ちはわかった。けどママは今は「いいよ!」って言いたくないな」と言うようにしていたり、する。
ゴメンネイイヨのやり取りが染み付いてる娘は「なんで!?ごめんねって言った!」って怒り出すけど「ごめんね、は娘ちゃんの気持ちでしょ?(実際はごめんなさい仕草しているだけだな、とわかってもそう言う)娘ちゃんのごめんなさいの気持ちを受け取るかどうかはママが決めることだから」って突き放すという小芝居を、度々行っている。
本人がどう捉えているかはわからんが、ごめんなさいはあなたの気持ちであって、あなたの行いが無かったことになる魔法の言葉じゃないってことは知ってほしいんだよな。難し!

だいぶ話は逸れたけどそんなことを考えたり。


ちなみに私はお二方ともあまり興味を持っていないんだけど過去ツイート掘ってみたら50万ツイートの中で1postだけ言及してたわ。

たまーにみることもなくなるのかしらね

2024/08/05 1,391文字
写真は猫草(なんで?)

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