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修正主義との闘い

Gyaoにて「否定と肯定」(原題:Denial)を視聴。
1996年の「アーヴィング対リップシュタット裁判」(Irving v Penguin Books and Lipstadt)を取り扱った作品だが、不安心理が蔓延し、雑多な陰謀論・修正主義が流布されている今日の社会に照らし合わせて、考えさせられることがあった。

映画(及び事実)は、アーヴィング(イギリス人、ホロコースト歪曲論者)が、リップシュタット(アメリカ人、ホロコースト否定の危険性を問題視)及び出版社を名誉棄損で訴えるところから始まる。訴えは、リップシュタットが著作の中で、アーヴィングを中傷(ホロコースト否定論者、捏造者、偏見者と記述)したことに対してだった。

被告のリップシュタットは、その記述内容の真実性を証明しなければならない。具体的には、1.ホロコーストが起きたこと、ヒトラー及びナチスの組織的計画があったこと、2.アーヴィングとネオナチとの関係性、3.アーヴィングの歪曲、の三点を証明しなければ、原告の主張通りに名誉棄損が成立する。もし、自分がリップシュタットの立場だとすれば、原告からの攻撃に加え、裁判に要する手間やコスト、先々の社会的なリスクを考えると、かなり気が滅入るはずだ。

現実には、強力なチーム対応によって被告側の完全勝利に終わった。突如として理不尽な攻撃にさらされた場合でも、攻められる側に理があって、共感して戦ってくれる仲間がいれば、何とか乗り越えることができるのだろう。やはり、常日頃からの振る舞いやいざというときのチームづくりは重要。

さて、戦後76年が過ぎた今日、国内でも歴史修正論・陰謀論の類を目の当たりにすることが増えた気がする。一昔前はアングラ的なメッセージにとどまっていたが、いまや堂々と昼間からヘイトスピーチをしたり、SNSでも根拠不明な言説を臆面なく振りかざす者がいる。懸念すべきは、それらに対して一定層の支援者が付いていることだ。社会に対して不平・不満を抱えている人が、相当数いるのだろう。日本人は自分たちで社会を変革しようとはしないが、社会の雰囲気作りに加担して、徐々に自らの状態を悪くさせる傾向がある。これからも同じ傾向が続くだろう。

修正主義者に共通するのは、歴史の歪曲以前に、そもそも歴史を学ばない、勉強しないことである。調べたり勉強したりする手間は面倒だが、自分たちの地位や利益の確保にはきわめて貪欲なのである。こうした人たちと戦うには、相当な覚悟と構えが必要。備えておかねばならない。


ちなみに、映画自体は、アーヴィング役のTimothy Leonard Spallの演技が秀逸だった。

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