英語学習への動機づけ -3/1000-

目標があるから努力できるのか?
努力したから新しい目標が生まれるのか?

「子どもの頃に抱いていた理想や夢がいつか大人になっていく過程で目標になって、その夢を叶えるために努力する」そんな形が理想的で美しいと今でも思っているし、実際にそうだとも思う。けれど必ずしもそうでなければならないとも思わない。

「とりあえずいい大学に進学する」みたいな感覚で
「とりあえず英語を学んでおく」のも決して悪いことではないと思う。

よく言われる英語を学ぶ動機として相応しいのは通訳や翻訳家、外国語の先生といった英語を専門とする職業に就きたいと考えている人や英語を使って何か事業を拡大したいと考えている人であろう。

今でこそ未だに漠然としているものの英語をつかって・・
ということを考えることができ始めているが、学習を始めて間もないころはちょうど訳あって(詳細はできたら後日掲載予定)進路を急旋回させた時期で、明確な学ぶべき動機がなかった。だから学習を始めても知らず知らずのうちにyoutubeやスマホに手が伸びてしまい効率の悪い学習となってしまっていた。

進路の旋回は自分でも思いがけない事態で、自分のやりたいことの中から考え出した新たな目標(この詳細も後日掲載予定)は仮初に過ぎず、多少今でも思うところがあるももの趣味や特技という形で寄り添わせていくこととした。それまである程度思い描いていたとおりに進んでいたのに急に道を外れたので正直、この先なにをしたいのかも分からなくなったし、どうしてよいのかもわからなくなってしまった。ただ海外への憧れとなにかしなきゃという焦燥感から捨て身の覚悟で「英語を学ぶため」いう大義名分で留学に決した。

けれど実際は英語を学ぶためというよりも英語を学ぶための理由欲しさに留学を決意したようなものであった。進路変更に至った経緯を何度も自分の中で咀嚼し、(今となっては明らかに必要以上に)熟考した。そして「自分自身、そして今度の選択のためにできる最善のことが英語を習得することである」という結論に至った。その中には「英語を使うといい意味でストレートに言いたいことが伝わるし、自分の考えを自由に言っても嫌われることはあっても敬遠されることはない。日本語で自分にも相手にも遠慮してるからうまく意見を伝えられないし、満足に議論できないんだ。」みたいな考えも含まれていた。そして何よりもそのような無意識に自分を律してしまう日本を出たかったというのも理由のひとつであった。

さてそんな明確な理由もなく、ある意味不純な動機で乗り込んだ留学先で学んだこととはいったい何だったのか?そしてそこでどんな経験をしてきたのか?それは次回以降のお楽しみということで。

それではまた明日!

最後の一言:
1000日目の自分が見返した時に恥ずかしくない文章が書けていることを願う

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?