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したがって無職。

 僕は無職になった。転職活動をする中で自分がいかに社会に必要とされていないか改めて思い知った。転職活動すらも思うようには進まない。例えどれだけ崇高な考えでも行動しなければ、それはこの世のどこにも存在しない。そう思っているのに、行動に移さないから、それはどこにも存在していない。周りの人たちもなんだか呆れているようだ。それは僕もそうで、僕も僕に呆れている。
 そこで日雇いのアルバイトをしてみた。このままでは社会に戻って仕事をするなんてできそうにないからだ。探してみると、近所の飲食チェーン店が募集していた。
 当日、ピークタイムの皿洗いを任された。僕は存外、皿洗いが好きである。何かが片付いていくのは気持ちがいいのだ。リズムを意識して皿洗いをする。身体に意識を集中する。リズムが悪いと、とても皿洗いなどできない。だから貴方には、初めて皿洗いをするときリズムの調整から入ることをおすすめしたい。これは大切なことである。リズムが合わない仕事は気持ちが悪い。貴方はしなくていい。やはり仕事はイズムではない、リズムである。誰が何と言っても貴方は気にする必要がない。需要と供給が成り立つ以上、職業に貴賎はない。だから僕は皿洗いに誇りを持とうと思うし、持つべきだと思う。
 そんな事を考えているうちに、皿洗いは2時間を過ぎた。僕は、ひどく居心地が悪かった。当然である。急に来た異物が厨房で皿洗いをしているからだ。そんなとき組織はどうするか。異物を話題にして、結束を強めようとする。それは社会的動物である人間にとって当然の作法であろう。人間とはそういうものだ。
 しかしそんなとき、僕に一杯の緑茶が差し出された。氷が入った冷たい緑茶だった。従業員の方が気を遣ってくれたのである。温かい気持ちになった。注意を払うべきは、人間が持つその場の結束を強めたいという性質ではない、そう思った。僕は人間に、希望を持つことを諦めてはならない。そう思った。

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