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【上がらないうだつをぶち上げる】4年藤野 駿


 どんなにもがいても、どんなに自分が頑張った、努力したと思っても報われない。そんな経験はあるだろうか。まとまりのない文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。

 私は、これまで約17年間サッカーを続けてきましたが、先日10月23日の試合をもって、競技者としての引退を決意しました。まるでプロの試合のような応援と雰囲気の中での引退試合でした。ありがとう。後悔はありません。今も昔も、サッカーが好きな気持ちは変わりませんし、これから生きていく中で欠かせないものであることにも変わりないです。これまで関わりを持ってきた仲間、知り合いもほとんどサッカーを通じてできたものですし、その中にわるいやつは誰1人としていません。特に、日本体育大学サッカー部に入部してからできた仲間とは、純粋にサッカーが好きで、サッカーを愛していて、いい意味でバカで、同じ志をもってこの4年間共に走ってきました。こんな素晴らしく、濃く、輝いた4年間はこれから生きていく上で、他に存在するのか、少し不安です。これからの人生、自分次第でどうにでもなると思いますが。


経験は価値が下がらない資産

 冒頭でも少し触れましたが、結果がついてこないなんてことは、みなさん幾度となく経験してきていると思います。私は、特にこの4年間でそう感じることが多々ありました。高校までは何も考えず、ただ自分の力に任せてプレーしてきたサッカー。それで楽しかったし、それで勝てていた。自分の力でどうにでもなった。それは、入学してすぐ通用しないことに気づきました。考えてプレーしなければいけない。自分1人の力では何もできない。そんなサッカーに楽しさを見出せずにいました。どれだけ考えてサッカーをしても、どれだけアピールしても指導者の目に止まらない。指導者の言う通りにプレーしてもダメ。今思うと、この時期は、常に環境や人のせいにしていました。しかし、それでは成長が感じられないし、何よりサッカーを楽しめていないことに、毎日の練習で少しずつ分かってきた矢先に、コロナウイルスの流行もあり、思うようにサッカーができない環境へ。そして何より自らその場に身を置いてしまったこともあり、サッカー人生最大の挫折を味わうことになりました。サッカーができない期間はこれまでにないくらい、1日中サッカーのことを考えていたし、サッカーに対する思いも過去1強かったと思います。この時は常にベクトルは自分に向いていて、環境や人のせいにするなんてことはありませんでした。その後、復帰してからは毎日の練習が楽しかったし、考えてサッカーをすることが当たり前でその楽しさにも気づき、こんな状況でもサッカーができる環境への感謝もしていました。


腐るほどある時間が時価総額

 サッカーがしたくてもできない期間、この時間を有効活用できたかは、分かりません。しかし、そんな自分を見捨てずに再度迎え入れてくれたチームには感謝してもしきれません。家族をはじめ、仲間や指導者が自分たちに期待を寄せてくれていることにも気づくことができました。同じ境遇にいた仲間の存在も大きかったです。自分たちがきっかけになって派生したプロジェクトも、今では大きくなり、嬉しい限りです。少しは日本体育大学サッカー部に形あるものを残せたのではないでしょうか。


あえて乗り込む冒険機関車
その旅で気づく尊敬と感謝

 日体大のサッカー部に入部し、4年間挑戦し続けることができ幸せでした。ここで得たものは何よりも価値のあるものでした。
 ここまで自分の意思を尊重し、サッカーを続けさせてくれた父、どんな時も味方でいてくれた母、同じ時間を過ごし、同じ釜のメシを食った寮の同期。先輩。後輩。矢野監督をはじめとする指導者の方々。他にも、自分の周りにはこんなにも素晴らしい人たちが大勢います。ありがとう。これからも藤野 駿を頼みます。これから生きていく中で、腐るほどある時間が時価総額です。経験は価値が下がらない資産です。上がらないうだつをぶち上げていきます。


Thank you thank you 
All my friends 
Thank you 
All my people 


 長くまとまりのない文章でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これからも日本体育大学サッカー部の応援をよろしくお願いします。





名前:藤野 駿 (フジノ シュン)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:セントラルfc宮﨑→宮﨑南