見出し画像

【forever football】4年 松本秀太


こんにちは

体育学部体育学科
4年 松本秀太です。

物事には出会いと別れはつきもので、、、
と言ったことが節目節目にありましたが、
遂に、これまでの人生で一番長い付き合いのものとの別れを迎える時がやってきました。


自分は10/23の引退試合をもって、
本気でプロを目指した16年間のサッカー人生に区切りをつける決断をしました。
周りの友人がどんどんプロ契約を果たす中、志半ばで諦めることは、もちろん決して簡単なことではありませんでした。
きっと人生の中で1番の決断だったと思います。

選択の連続である人生において
どっちが正解だなんて誰もわかるはずがありません。
だからこそおもしろいし、ワクワクする。
後悔しない方を、、などと無責任な言葉ではなく、

私が言いたいのは
「選んだ道を自分で必ず正解にする」
ということです。

選んだ道に責任と覚悟を持ち、力強く前に突き進んでいきたいと思います。
そして自分自身のこれからの先の人生における全ての選択の岐路でどっちをとったとしても正解にしていくことが
サッカーを辞める決断を正解にし、それを
「証明」
することにもつながっていくと思います。


残り5日となった引退試合を目の前にサッカーに対する思い、皆さんへの感謝、愛、今自分の中にある感情をありのまま書きました。
少しお付き合い頂ければと思います。

昔から自分の周りには根っからのサッカー小僧がたくさんいて、大卒や高卒でプロになる人もいましたが、プロになれなかった人がそれでも夢を追い続けるのを間近でたくさん見てきました。
本当にすごい。かっこいいし、なんならきっと自分もちょっと前まではその道に進もうと考えていた人間でした。
でも大学に入り、選択の岐路に立たされた時、置かれている立場や状況で今までの揺るがない信念がぶれ始めました。
そしてプレイヤーとして上を目指すんだという志が少しずつ薄れていき、今年の6月に足首の怪我をし手術が決まった時が完全に気持ちの切れ目でした。今までは怪我をすると「次のステージで輝くために強くなって戻ろう」と思いましたが今回は自然と「最後やり切るためにリハビリを頑張ろう」というように次を見据えたモチベーションではありませんでした。
この怪我をきっかけに痛感したことは、結局「そこまでサッカーを愛することができなかった」ということでした。
サッカーの才能は「技術がある」とか「身体能力がある」とかそういうことじゃなくて、
「どれだけサッカーを愛せるか」
ということを身にしみて実感しました。
(サッカー漫画アオアシにあったワンシーンでとても共感しました)


人生の分岐点においてこれまでのサッカー人生に区切りをつけるものが大半です。

自分もその1人です。

プロを目指し、本気で、熱く情熱を注いできたサッカー。

果たして、そこになにがあっただろうか。



ここにきて初めてサッカーを嫌いになることもありました。

初めて逃げ出そうともしました。

実際に他のチームに練習参加もしました。
きっと大きな分岐点だったに違いありません。

自分はあの時仲間に背を向け、自分の置かれてる立場や現実に向き合おうとせず、そのまま逃げ出せばきっとこれからも逃げ続ける人生を送っていたと思います。

一度はこの代に生まれてきたことを恨んだりもしました。
「こんなはずじゃなかった」
そもそも選択肢を間違えたのではないかと思った。

何度も悔しくて、情けない自分が許せなかった。

でも「この代でなければ」いけなかったんだと今になってようやく気づくことができました。

素晴らしい仲間を持ち、素晴らしく熱い毎日を送ってくることができました。



タイガが去年のいつかの帰り道で「青春は高校で終わったものだと思ってたけど、案外歳とってもあるもんだな、熱くなれるっていいことだし、最高だよな、この感情はずっと大事にしたい」って言った言葉でほんとにここでサッカーできてる自分がいかに幸せで、ここじゃなきゃダメだったんだと初めて思えました。

たくさんの山を登り、たくさんの景色を見てきました。

その過程に出会うことのできた先輩方、後輩たち、そしてなによりも最も多くの時間と感情を共有した最高の仲間達に、
最大の敬意と感謝を表します。
本当に人に恵まれたサッカー人生でした。

ちょっと前までは自分が下のカテゴリーにいたり、トップでプレーできないことに対してとても恥ずかしく、伏せたい気持ちもありました。
自分の周りは各大学のトップチームで主力なのはもちろん、どんどんプロの進路先が決まっていく。
周りからも「お前どうするの?」と言われ、
「Cチームでキャプテンしてます」なんて到底言えない。。
全てをかけるつもりで意気込んだラストシーズンも開幕してから好成績でいい流れが来ていると思った矢先に、手術をする始末、うまくいかないことだらけでどうしよもなく途方に暮れていた時に
「どこでプレーするかってのも大事だけど、いる場所でなにができてなにを残すかが大事なんじゃない」という母の一言に
家族に気を使わせてしまっていたんだと、不甲斐ない自分が情けませんでした。
でも今はその母の言葉のおかげで、自分のやるべきことを全うし、自信と誇りを持って、日本体育大学サッカー部の一員としてゴールテープを切れることを嬉しく思います。



そしてこれからの日体大を背負う未来ある後輩たち。

俺たちは、君たちにとってどういう存在だっただろうか。

何か学ぶことはあっただろうか、得られるものはあっただろうか。
少しでもそういったものがあったとすれば俺たちが信じてやってきたことは間違いではなかったのであろうと思います。

これからを託します。君たちの番です。
目先の結果に期待したくなる気持ちもよくわかります。
しかし、そう簡単に結果は出ません。
うまくいかないことの方がこの先多いでしょう。
その時には逃げずにその問題としっかり向き合ってください。そして気丈に振る舞ってください。
大切なのは我慢強く、信じ続けることです。
環境や、周りのせいにしたくなる時もきっとあるはずです。
でもいかにして、自分に矢印を向けて自分が上手くなるため、人として成長するため、強くなるためだけを考えて行動できるか。
調子が良い時に良い振る舞いができるのは当然です。
しかし、大事なのは調子が悪かったりうまく行ってない時にどう振る舞い、どう示すかです。
人の本性というのはピンチな時にこそ現れますから。
少なからず、俺たちはそう言った部分はこれまでの時間で示してきたつもりです。
見てくれてる人はきっと必ずいます。
自分を信じてそして何よりも同じ時を生きる最高の同期を信じて自分の道を突き進んでください。
僕たちの見れなかった景色を見てください。見せてください。
僕たちが叶えられなかった夢を叶えてください。
最後に、
上手いとか下手とかそんな小さな物差しで評価されるような選手にならないでください。
上手い下手関係なく、
「心の底からフットボールを楽しみ、フットボールから、そして周りからも愛される選手」
になってください。

この日体大サッカー部で良かったと思える最期を迎えてください。
与えられた環境でその達成感を得ようとするのではなく、自分たちでアクションを起こし、そう思える環境を自分たちで作り出すことが大切だと思います。


その左胸のエンブレム、自分のつける背番号、背負ってる学校の名前、ピッチに立つものとして、

全てにプライドと覚悟を持ってください。

これはカテゴリー関係なく日体大サッカー部の一員である以上は持ち続けなくてはいけない大切なスピリットです。

そしてこれだけは覚えておいてください。

努力が必ず報われることはありません。
報われるまで努力してください。
そしてもうダメかもしれないと思った時から勝負は始まります。
逆境こそが人を強くし、それを超えた先にある新たな自分を想像してワクワクしてください。

大丈夫。君たちならできます。
できると信じてます。




この4年間はほんとに苦しい日々が多く、何度も何度も挫折を経験しました。
走りきれたのは、共に多くの時間を過ごした「仲間」のおかげです。

特に、
石川雅人。
君にどれだけの迷惑をかけたか、感謝しても仕切れないし、君無くしてこの大学4年間を語ることは無理です。
たまに垣間見える、「どうしようもないクズ」と自分でも自覚するほどのダークサイドに落ちた時の自分を、
どんな時でも理解し、受け入れてくれました。本当にありがとうございました。

大夢。
7年か、、長い。。多分彼女より自分の方が君のことはよくわかっているでしょう。
共に切磋琢磨し、高みを目指し続けた7年間は私にとっての財産です。
また最後の年に手術をして、自分の中にあった信念がぶれかけた時もありましたが、それでもなお立ち上がって前に突き進めたのは、
君がトップチームで奮闘する姿を間近でみていたからです。
少なからず、それに勇気づけられたし、冗談でも「君のためにプレーします」という言葉はとても嬉しかったです。
お互い、決して平坦な道を歩んできたわけではありませんが、共にゴールテープを切れることを嬉しく思います。
ただ、最後に一緒にピッチに立てなかったのは心残りです。
ということは、きっとまたこれから先、どこかで一緒にサッカーをする日が来るかもしれませんね。
これ以上書くと本気で付き合ってるんじゃないかって疑われそうなのでこれくらいにしておきます。

まとめた形になってしまいますが、、

卒業してからも「最近どうなん?」と連絡をくれたり、食事に連れていってくれたり、一緒に出かけたりとこんな自分を気にかけてくださったたくさんの先輩方。

こんな自分を「兄貴」「親父(誰が老けてるや笑)」と慕ってくれて、でもやるときはしっかりと目つき変えてやる。と言った、可愛くも頼もしすぎる大好きな後輩たち。

たくさんの苦楽を共にし、どんな時も手を取り合い、立ちはだかる幾つもの壁を乗り越えてきた、愛する同期のみんな。

最後の最後まで怪我で迷惑をかけたキュアセンターの先生方、最後にピッチに立つ希望を残し、手術することに対し背中を押してくれた関東労災病院の先生方。

朝も夜も、誰よりも早く起きて弁当と朝飯を作って、誰よりも遅くまで起きて家事をしてたくさん迷惑をかけた母。
16年間なに不自由なくサッカーに打ち込める環境を整えてくれて、口数はそんなに多くはなかったかもしれないけどなにをするにしても「頑張れや」と背中を押してくれた父。
こんな自分を目標としてくれた妹。

あげればキリがないですが、
本当にたくさんの人たちに支えられてここまでサッカーをすることができました。



幼い頃夢見たサッカー選手になって今までお世話になった方々へ恩返しすることはできませんでした。とても遠く狭き門でした。だからこそ、夢があり、憧れるものであると、それがプロだということを感じました。
浩樹のブログの通り、トップチームでプレーした時間もほとんどないに等しく、大学でサッカーを辞めることは結果的に成功とは言えないでしょう。
最後に高校からの大先輩、こうへいさん、大倉さんのようにトップチームでヒロムと同じピッチに立って関東リーグを戦う目標も叶いませんでした。


それでも病院で出会った先生に、
「もしかしたらプロになるよりも幸せだったんじゃない?濃い人生だよそれ」って言われた一言でなんだか救われた気もしました。

それ以上の大きななにかを得ることができたかもしれないと信じたい、そしてここまで走り抜けた自分自身を誇りに思います。
これまで「サッカー」を通してたくさんの出会いがあり、学びがありました。
充分すぎるほどできすぎたサッカー人生でした。

「プロの道に進む友人たちへ」
いつかみんなとまたプロの世界で同じピッチでプレーすることを夢見てサッカーをしてきましたがどうやらその夢は叶いそうにありません。
これからの夢は家族を持ち子供ができたときに、みんなのユニフォームを着て試合を見にいくことです。
そして子供に「パパはあんなすごい選手と一緒にサッカーをしていたんだよ」と自慢させてください。
これから先、これまで以上に想像を絶するほどの厳しいサバイバルや、苦難が待っているかと思います。それでも絶対に負けることなく、どこまでも高く、常に高みを目指して頑張ってください。
いつか困った時に「秀太に頼ればなんとかなる」と言ってもらえるような存在に自分はなりたいと思います。
プレイヤーとして一緒に仕事ができなくても別の形でまたみんなと仕事ができることを目標に頑張ります。
必ずまたサッカー界に戻りますのでその時はよろしく。


僕たちはこれから「社会」という未知の大海原へと飛び出しています。

挑戦は終わりません。
僕たちも戦います。今後起こるであろうざまざまな困難と戦い続けます。

最後になりますが、

この16年余りのサッカー人生は自分にとって大きな財産となりました
楽しいことよりも苦しいことや辛いことの方が多かったです。
最後に手術するほどの怪我も負い、とことん壁にぶち当たり続けたサッカー人生でした。
しかしそれらの経験はプレイヤーとしてだけではなく「松本秀太」という1人の人間として大きく成長させてくれました。
そしてその全てが僕の中で輝き続けます。

どうか僕たちの想いや意志が途切れることなく何年も続いていけるように繋咲(継承)していってください。
そうなることを心から願います。

また、コロナの影響で未だ余談を許さない状況下にある昨今ではございますが、活動するにあたってご尽力くださいました矢野監督始め、コーチングスタッフの方々の皆様、ハル、マサトはじめ学生スタッフの皆様。
多大なるリスペクトと感謝の気持ちを込めてこの場を借りて厚く御礼申し上げます。



これからは、「本気」のサッカーから「楽しむ」サッカーにシフトチェンジして生涯現役をモットーにどこかでひっそりとボールを追い続けたいと思います。


十分に幸せなサッカー人生でした。
それでも心の中にサッカーに対する気持ちは永遠に残り続けることでしょう。
それだけ、本気で愛したものでした。

言葉では表せないほどの
ありがとうございました。

それでは、またどこかで👋🏻

good bye football
forever football



P.s.
行動記録と誓約書忘れないように。


名前:松本 秀太 (マツモト シュウタ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:東京V・JY(白鳥中学校 )→ 星稜高校