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【I AM 最近優しくなったPUNKAKIRABABY】4年 三田野慧


皆さんこんにちは。
最近優しくなったPUNKAKIRABABYです。
いつも日体大サッカー部を応援してくださる皆さま、ありがとうございます。
引き続き応援をよろしくお願いします。

 さて、前回のブログを見てくださった方々ありがとうございました。
今回は、俺の大学生活を順を追って紹介していくブログになります。
ぜひ最後まで楽しみながら読んでください。
 
1年生時
 規則に押さえつけられていた高校生活から解放された氣分になり、入学直後は、女の子と遊ぶことと自分を節制することの間をさまよっていた。
しかし、プロサッカー選手になりたい思いが強くあり、日常にサッカーを費やす日々を送り始めた。
矢野監督新体制でいろんな変化が部に起きた。俺はDチームだったから朝練で、実家通いだから毎日4時に起きて始発で学校に向かう毎日だった。
志しが低い先輩もいた中で朝から大声を出して練習していた。
この年から1年生のみ午後練というのがあって走りまくり筋トレしまくりで本当につらい毎日で練習に行くのが本当に嫌だと思うことも何度もあった。
それでも毎日2部練を1年間やり切った。
大学でもこんなことするんだってよく思ってた。
1年生だけめちゃめちゃ応援したり、めっちゃ走ったり、食堂で女の子に声かけたりと人生で1番内容の濃い1年だったと思う。
 
 
2年生時
 新年度早々B チームに上がった。
しかし、公式戦には一度もベンチにも入っていない。
なぜなら、6月から新人戦という1、2年生の大会があって、それのメンバーに選ばれトップチームの練習に参加し始めたから。
そして、そこで5試合4点の活躍をしてそのまま8月にトップチームに正式に上がった。
しかし、ベンチに一度は入ったが、試合に出ることは無く、シーズンを終えた。
 なにより、トップチームに上がれたことは嬉しかった。
もう絶対朝練生活には戻りたくないってずっと思っていた。
トップチームには、うまい人がたくさんいて、学ぶことだらけで、何から始めればいいのかわけわかんないまま1年終わった感じだった。
 2年生になった頃に、腹式呼吸の大切さを知り、自分の身体と向き合う生活が始まった。
あと、世のため人の為に行動することを大切に毎日生活していた。
寒くなってきたら革ジャンは欠かさず着ていたし、Dr martenで毎日練習にも授業にも行っていた。(今でも変わらない)
 
3年生時
 今年こそはと思っていた矢先、4か月の自粛期間に入った。
この時期は、近所の子供達5、6人で毎日サッカーをしていた。
貧困地域出身でサッカー選手になった人たちの少年時代を意識して、毎日壁とパスパスしたり子どもたちとミニゲームしたりした。
あと、腕立てをしまくってパンパンな身体だった。
 7月に自粛が終わり、練習が再開した。
思っていたより自分がうまくなっていてめちゃくちゃ嬉しかった。
ベンチ入り出来るようになり、残り3分ぐらいだけど関東リーグにも何試合か出ることが出来た。
 このシーズンからコロナの影響で無観客試合が行われた。それにより俺のサッカーに対するモチベーションが完全に無くなってしまった。
茨城まで行って、アップだけして終わることが何回もあり、しかも応援も無く観客もいなくて、サッカーに対しての思いが完全に冷めてしまっていた。
そんなことはもちろんプレーにも表れ、冬休み明けのカテゴリー編成でBチームに落ちた。この冬休みに俺に彼女が出来た。
Bチームに落ちた時は、悔しいというより恥ずかしかった。口ではAに上がると言っていっても実際はそんな氣力が湧いてこなかった。
毎日の練習がこなしになってしまっていた。いたずらに毎日を過ごしていた。
この時は、Aにいたからまぁまたいつか上がるっしょと思っていた。
 3月にカテゴリー編成があった。そこでなんと発想にもなかったCチーム降格という現実が訪れた。完全に俺は見放されたんだなって思った。
もう俺はサッカー引退だなとか、これが辞め時なんだろうなとかいろいろ考えた。絶望を感じた。
部活に行っても恥ずかしすぎて顔を上げることが出来なかった。それに練習の遅刻が重なり、もう精神崩壊寸前だった。
そんな状態で3年生を終えた。
 
 
4年生時
 そんな最悪な精神状態でスタートした。
ここで俺は初めて、自分の弱点と向き合うこととなる。それは、持久力が無いということ。
そこで俺は、毎日走ることを決意した。
彼女の家まで6.5kmちょっとなので、夜毎日走って彼女に会いに行って、帰りは家まで車で送ってもらって次の日朝練という生活を始めた。
すると、持久力と同時に集中力も付き、サッカーに対しての氣力を取り戻し始めた。
そして、4月の終わり頃、Cチームのスタメンを勝ち取った。それでも毎日走ることは止めなかった。自分の身体を休めた方がいいと言って走らない時もあった。しかし、それは妥協の始まりであることに氣が付き、そういう時こそ走るということを言い聞かせ弱点を克服する努力をした。
すると、弱点がむしろ武器に変わっていき、大きな自信になった。そしてスタメンに定着した。
この時期に彼女が大きな心の支えだった。今でもとても感謝している。この辛かった時期を乗り越えて再びトップチームを目指そうと思えたのも彼女がいつも寄り添ってくれていたからだと思う。
6月に、コーチ柳さんとある約束をした。それは、ハットトリックしたらBに上がれるというものだった。しかしなかなかハットトリック出来ず9月になってしまった。そしてついにその時が!
Iリーグの慶應戦。2-1の状況の後半に立て続けに得点し、ハットトリック達成。
チームは5-1で勝利した。そして俺は、ついに、あの約束があったからか、実力が認められてか、念願のBチームに昇格した。残り1か月だけどあきらめなくてよかった。そして登録されてからは全試合スタメンで出場し、得点をしたが、チームを全国大会に導くことは出来ず、来週の水曜日が最終節という引退間近の現在に至る。
 
 
書きたいことは山ほどあるがこれ以上細かく書くと長くなりすぎるのでこの辺にしておきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも日々目の前に幸せを生むことを大切にして、人に優しく生きていきます。
卒業してもPNKAKIRABABYの生き様を脳裏に刻めるよう全力で生きていきます。
応援よろしくお願いします。
 
そして、これからも日体大サッカー部の応援をよろしくお願いします。
 
では、またどこかでお会いしましょう。



名前:三田野 慧 (ミタノ アキラ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:南郷中学校 → 日本大学藤沢高校