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【自分だけの正解】4年高田淳平


自分にとっての正解とは。
宝を拾う準備はできているか?

 
コテコテ関西人で、特に何もしてないのに第一印象でいっつも損をするけど、話してみたら優しいと絶対言われ、何とも言えない感情によくなる高田淳平です。
今回の引退ブログを担当します。
 

 
大学サッカー引退が近づき、様々な思いが全身を駆け巡っている4年生が多いのではないでしょうか。
僕もその一人です。
 


関西から関東へ上京し友達、住む場所、方言、景色、文化、何もかもが違うこの環境に不安で仕方なく、どうしたらこの環境で4年間夢に向かって自分自身が成長できるかを考え続けてきた旅も最終章に差し掛かってきました。
 
軽く思い出しても様々な事が蘇ります。
膝の怪我とコロナで1年半ほどサッカーができなかったこと。
信頼を損ねてしまうような失態をしたこと。
努力をしても結果が報われず、どうしたらいいのかわからなかったこと。
夢や目標に対して、自問自答を繰り返した日々のこと。
チーム全員で戦って勝って喜んだこと。負けて言い合ったこと。
努力が実を結んだなと実感した直後に大きな落とし穴があったこと。
 

簡単に挙げてもこんなに出てきて、しかもほとんどが失敗エピソードのように見えますが
 
『ホンマに俺の人生はおもろいな~、誰も経験できへん経験できとるやん、最高やわ』
 
ってポジティブに心の底から思えている自分がいます。
こんな風に思えるようになったのも、自分なりの『正解』を見出すことが出来たからだと感じてます。


 
サッカーにおいての正解は試合に出ること、上のカテゴリーに上がること、プロになること、即ち結果を出すことが正解だと思っている人が多いと思います。
でも僕は、
起きている物事に対して目を背けず、自分なりに最大限、己と戦うことができているか
が正解なのかなと思います。
 

結果=正解では無く、
結果に至るまで何をしたか=正解ということです。
要するに結果なんかおまけ。ってことです。
 
一番の敵である己と戦い、勝負に打ち勝つことができ、やり切れているかが、ものすごく重要になってくると思います。
やり切った中での成功と妥協した中での成功では全く中身が違うものです。
 
僕自身、滝二や弘陵といった強豪校の選考会で落選し、高校で全国大会にも行けず、ケガをする時はいつも手術物の大けがをしてきたのが今までのサッカー人生です。
大学4年間の中でもケガやコロナで半分もサッカーができませんでした。
大学サッカーとしては目に見える結果が出ていないため、正解では無いのかもしれません。
むしろ大失敗の連続かもしれません。
ですが、僕自身は日体大サッカー部に来て、この最高な環境の中で今まで出会ってきた困難すべてに立ち向かったことで、そこには自分が成長するために必要な『宝』が眠っていることに気が付きました。
間違いなくこの『宝』の存在に気づけたのは、アンダーカテゴリー時代、どんな事を言われようが、どんな状況になろうが自分信じて自分のやるべきことをひたすらにやり続け、己と最大限に戦ったからこそ、この『正解』に辿りつけたのだと感じます。

 
この考え方に至ったおかげで、現在でもサッカー選手になる夢を諦めず、絶対になるんだという強い気持ちが根本にあるのだと改めて感じます。
「人は、苦しい時に真価が問われる」
「楽しい時に頑張れるのは当り前。苦しい時に頑張れる選手がいい選手」
高校時代よく言われた言葉です。
この苦しい時こそ成長のチャンスは眠っているんだ。
この考え方にさせてくれた日体大サッカー部には本当に感謝しています。
 


引退まで残り28日。
僕にはまだまだ困難が待ち構えています。夢を諦めそうになることもありますが、そこには成長できる『宝』が埋まっていると感じたら困難も、【ワクワク】、【ゾクゾク】に変わってきます。
 


逆境が人を強くする。
宝を拾う準備はできているか?
 


最後に。
この4年間で、サッカーの技術以上に、夢や目標に挑むためのメンタル面をすごく成長させてもらった4年間でした。このように成長させてくれたのは、応援してくれる家族、地元の友達、一緒に闘ってくれる仲間、矢野監督をはじめとするスタッフの方々。
4年間僕に関わってくれたすべての方々のおかげです。
本当に心から感謝しています。ありがとうございます。
 
残りリーグ戦も5戦となりました。まだチームの役に立つことが出来ていませんが、必ず淳平が居て良かったと思われるように、これからも精進していきます。
必ず今年なら『二部優勝』『一部昇格』を実現することが出来ます。
今の日体に拍車をかけるためには皆の力が必要です。
TOPチームだけではなく、日体大サッカー部全員の力で闘創していきましょう。

名前:高田 淳平 (タカタ ジュンペイ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:FCフレスカ神戸→神戸国際大学附属高校