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【心が躍る場所】4年小田巻蓮

こんにちは。
4年の小田巻蓮です。
今回のブログを担当させていただきます。
読むも読まないも皆さんの自由です。
気が向いたら読んでみてください。喜びます。
 

 
皆さんは何を考えながらサッカーをしているでしょうか。
どんな部分にサッカーの面白さを感じているでしょうか。
人それぞれあると思います。
これから、僕が考えていることを書こうと思います。
 

僕は、真顔で遊ぶことをテーマにサッカーをしています。
大学2年までは、局面局面で逆をとることに楽しさを感じていました。
この頃は考えながらサッカーをしているというよりも、感覚で目の前に見えたものに対してプレーをしていました。
このままでは新しく成長するものがほとんどないと感じ、コロナ休みが終わった頃からサッカーを変えようと考え始めました。
そっちの方が面白いと思ったからです。
DAZNでマンチェスターシティとバルセロナの試合を主に観ながら、なんでそこに立っているのか、なんでそこが空いたのか、なんで逆取れたのかなど様々な観点から考えて言語化し、練習で色々試してみました。
だんだんと自分に足りない技術的要素、思考回路が見えてきて、技術面ではトラップとパスの質、思考の部分ではイメージの共有だなと気づきました。
パスが苦手だったのでとりあえず練習し、考えがプレーで表現できるレベルまでは質を高めることができたと思います。
この頃から、目の前の相手を騙す楽しみ方よりも相手全体をコントロールして穴をつくることが楽しくなってきました。
なんというか、すごく難しいけど楽しい規模大きめの心理的要素が入ったゲームをして遊んでいるようなそんな感じです。
僕なりのこのゲームの楽しみ方は、目線、仕草、雰囲気、体の向き、表情などから人は次の動きをある程度予測できるので、それを利用して狙いを読んだり、逆を取ったりしながら少しずつ相手にストレスを与えて、焦れたところでひっくり返してさらにストレスを与える、など結構たくさんあります。
冷静さを失ったら楽しめないですし、性格が良くても楽しめません。
つまり、真顔で遊ぶことは僕がサッカーを楽しむ上で必要不可欠なことです。
 
また、サッカーで一番難しいのは、チーム戦であるという点だと思います。
人の頭の中を覗くことはできないので、考えを共有することも難しいですし、それを11人全員となるともっと難しいです。
イメージを共有しようとするとある程度組織的になります。
1人でもイメージが共有できていないとそこがネックになってうまくいきません。
「サッカーが上手い人は初めて会った人たちとも違和感なくプレーできる」という言葉の意味がやっとわかりました。
これがサッカーの本質的な部分であり、難しさなのかなと思っています。

 
そんなような変化があり、やっぱり人間は楽しいと感じることをやらないと勿体無いし頑張れない、知らないって勿体無いと改めて思いました。
「時間」というある程度平等に与えられたものの中で、何を感じるのか、何を知るのか、どう動くのかがどういう人になるのかを決めるのだと思います。
やりたいことを、やりたいときに、やれるだけやることをこれからも大事にして、限られた時間の中で最大限の成長をできるようにしていきたいと思います。

 
最後に、これまで支えてくれた両親、サッカーの楽しさを教えてくれた全ての方々へ感謝を伝えたいと思います。
今まで本当にありがとうございました。
引退まで残り僅かですが、サッカーをするときは最大限に性格を悪くして、敵・味方・観客を騙していこうと思います。
もちろん真顔で。

名前:小田巻 蓮 (オダマキ レン)
学年:4年
学部:スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科
経歴:fcfuji(鷹岡中学校)→富士東高校