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《父がくれた言葉》 3年 飯田百合加

2021シーズンが始動しました。
今シーズンも私は、ピッチ外からのスタートです。
そんな私の、あまり語ってこなかった想いを綴ってみました。この場を借りて、#2021の私 を表明したいと思います。


父と私


「何があっても楽しむことを忘れるな。」

この、どこかで聞いたようなありきたりな言葉は
父が私にくれた大切な言葉だ。


高校3年で前十字靭帯と半月板を損傷した。
高校最後の年に全てをかけていた私は枯れるほど泣き、悔やんだ。そんな時も父はいつもと同じ言葉をくれた。
「前向きに前向きに。楽しむことが一番。」
当時の私は正直理解できなかった。こんな状況楽しめるわけがないと思っていた。


大学入学直前、父は突然他界した。
心筋梗塞だった。
私の再起を一番楽しみにしてくれていた父に、
もう一度輝く姿を見せることはできなかった。

怪我と私

大学入学当初はまだリハビリをしていた。
ピッチの中で激しくプレーする先輩や、既にチームに溶け込んでいる同期に焦りを感じながら、毎日外からグラウンドを見つめていた。 

復帰してからも、怪我して復帰してを繰り返した。
その間もずっと膝に違和感を感じていて、
自分が100%でプレーできたことは大学生になってから正直一度もなかった。
サッカーを楽しむことができなくなった。
だんだんなぜサッカーをしているのかわからなくなって、頑張ることも嫌になった。


昨冬、ずっと我慢していた違和感にも限界がきた。
半月板をまた損傷していた。もっと我慢を重ねれば、そのままプレーすることもできた。
そもそも私はサッカーが上手いタイプでもないし持久力があるわけでもない、足も速くない。なのにここで休んだらまた遅れを取ることになる。
めちゃくちゃ悩んだ。


だけど私はもう一度、
思い切り100%でプレーして、
思い切りサッカーを楽しみたいと思った。
だから私は、手術することを決断した。

楽しむこと

これまでの道のりで、弱い自分にいっぱい出会った。
うまくいかず、卑屈になって逃げたりもした。
本気でサッカーを辞めようか悩んだこともあった。

でも、だからこそ大きなものを得られた。
人が気付かないところに目を向けられるようになった。人と自分を比べなくなった。
傷みを知り誰かを励ましてあげられるようになった。


自分の捉え方次第で、どんなことも好転できる、
どんな事も前向きに楽しむ方法なんていくらでもあると知った。父の言っていたことがようやくわかった気がした。

2021の私

私のサッカー人生はあと一年しかない。
でもまだまだスタートラインに立てそうにない。
それでも私は諦めたくない。
もう一度、思い切りサッカーを楽しみたい。 
ピッチに立ち、日本一を獲りたい。

そしてピッチに立っている時間が短かった分、
ピッチの外でも日本一のチームに貢献できる選手になりたい。日体大を、強いだけじゃない、勝利の先にあるものを身に纏えるチームにしたい。

自分とチームの可能性を最後まで信じ、
自分の決断を正解へと導いていこうと思う。

大学ラストイヤー、
私のキャンパスはまだまだ真っ白すぎるけど、
自分にしか見えない景色をしっかりみて
自分にしか描けない絵を思い切り描いていこうと思う。

どんなことがあっても、
この一年を、思いっきり楽しんでいきたい。


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長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ついに私も最高学年という自由と責任を背負う立場となりました。今年はもっともっと、ピッチ内外で、日体大を盛り上げていきたいと思います!
これからも、日体大FIELDS横浜および日体大女子サッカー部の応援をよろしくお願いします!

#2021の私

●プロフィール
   飯田 百合加(いいだ ゆりか)
  ・3年 
  ・経歴
   JFAアカデミー堺
   大阪桐蔭ACflamingoFC U-15
   →常盤木学園高等学校
   →日本体育大学

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