ラスト1年に賭ける想い
こんにちは。
4年の下山莉子です。
自分の日体での4年間について
お話ししたいと思います。
短くまとめたかったのですが、
長々と書いてしまいました。
目を通していただけたら嬉しいです。
自分は、高校3年生の1月に足首の手術をしたため
リハビリからのスタートでした。
高校とは環境が全く違って、
これから始まる4年間がどうなっていくのか、
楽しみな気持ち反面、
別練スタートだったため、
周りに置いていかれるんじゃないかという
焦りもありました。
6月ごろに復帰をして、練習に入りました。
やっぱ周りの同期たちは先輩ともうまくやっていて、
練習メニューにも慣れていました。
自分は全然コミュニケーションも取れず、
メニューにも慣れず、
練習行きたくないって気持ちが強かったです。
あるなでしこリーグの試合の日、
たまたま自分にチャンスが巡ってきました。
先輩方が実習や、怪我などでベンチの人も少ない中、
矢野さんに
"りこサイドバックでいけるか。"
と言われ、大学に来て初めての試合で、
初めてのポジションでなでしこリーグに
出ることができました。
既に笑えてませんね。笑
この写真がデビュー戦だったかは忘れましたが、
1年の時は毎試合緊張して泣きそうでした😂
サイドバックはやったことはなかったし、
(むしろ守備してるとこ見たことないって
高校のときの仲間に言われるくらい)
やってもサイドハーフを
練習の中でしてたくらいでした。
自信もなければ、
気持ちの準備もできていない中試合に出ました。
もちろんたくさん迷惑かけながらでしたが、
周りの先輩方や社会人の方に助けられながら、
大学に来て初めて公式戦に
出場することができました。
元々のポジションはトップ下やボランチなど
攻撃的なポジションでしたが、
180度変わり守備的なポジション、
サイドバックになりました。
この試合がなければ今の自分はどこの
ポジションをやっていたんでしょうね🤔
カンカレも、インカレもメンバーに入ることができ、
サイドバックとしてスタメンで
起用してもらうことができました。
しかし、1年のインカレでは3回戦の大体戦で
負けてしまい兵庫ラウンドで
姿を消すことになりました。
"もっと4年生とサッカーしたかった"
"西が丘に帰って優勝したかった"
この日の悔しさは今でも覚えています。
1年の頃は、初サイドバック、
なでしこリーグ1部昇格や、カンカレ優勝、
インカレでの敗北など嬉しい経験も悔しい経験も
たくさんしました。
2年生になり、監督も代わり、
また1からのスタートでした。
開幕戦はベンチスタートで、
スタメンで起用されることもなく
途中出場で出ることが多かったです。
スタメンで出ることも難しいけど、
途中出場もいろんな意味で難しいと思いました。
今まで途中出場とかは経験なかったので、
またここで新しい経験をすることができました。
途中からはスタメンで起用してもらえるようになり、
調子が上がると怪我をして、
また復帰しての繰り返しでした。
1部で戦うことは想像してたよりも
はるかに厳しい世界で、勝つことの難しさ、
1点の重みなど、ゲームの中でも、他の場面でも
なにかと考える事が多かったです。
初めて1部で勝利を手に入れた試合は
自分の中での一生もので、
すっごく嬉しかったことは今でも覚えています。
この試合から徐々に自分の中で
調子が上がっていました。
この試合から5試合後に、
右膝前十字靭帯断裂をしました。
また。
またです。
また調子が上がったら怪我をした。
しかも今回は簡単に復帰はできない大怪我。
翌週ぐらいにインカレメンバーの発表を
控えていました。
インカレに出ている自分を想像していました。
翌週から北朝鮮遠征も控えていました。
去年の悔しさを今年は晴らしたかった。
悔しいの一言では表せないほど
いろんな想いがこみ上げてきて、
みんなが想像しないくらい泣いたし、苦しかったし、
自分でもわかるくらいおかしくなりました。
グランドに行く意味もわからなかったし、
サッカーしてるのを見るのも、
みんなに会うのも嫌になり、
いろんな事がどうでも良くなりました。
周りの人たちにもたくさん迷惑かけました。
でもやっぱり、サッカーから離れることはできず、
またサッカーするために、
インカレの借りを返すために、
お世話になった人に恩返しするために、
リハビリを頑張りました。
その年のインカレで優勝し、
自分が大好きで尊敬してた先輩から
メダルをかけてもらったときはすごく嬉しくて、
もっともっともっと頑張ろうと思いました。
本当なら自分もここに立ててたかなぁとか
考えながら、優勝する姿を応援席で目に焼き付け、
来年は絶対自分もここに立つと心に誓いました。
しかしそう簡単に物事が進むわけでもなく、
神様はまた自分に試練を与えてきました。
3年生になり、復帰間際にある動作で
再建した靭帯が半切れ状態になりました。
あー、終わった。
またか。またリハビリか。手術か。
もう頭が真っ白になりました。
病院で泣きました。
グランドに行くのも、練習に行くのも辛かったです。
また復帰の日が長引き、もう心が折れそうでした。
本当ならここでもっと強くなろう!とか
誰よりもここを磨いてやろう!とか
思う人もいるかもしれませんが、
自分はそんなにメンタルが強いわけでもないので、
サッカーなんてもうしなくていいやーとか、
投げやりな気持ちになりました。
手術しなくても、筋トレで筋力上げて
補っていけばいい、まだ手術するほどでもないから
大丈夫ってなり、また長いリハビリが始まりました。
3年生ではほとんどサッカーしていません。
だからサッカーしてる写真なんてありません。
サッカーしてるみんなが羨ましかったです。
サッカーで悩めてるのが羨ましかったです。
もちろんインカレメンバー入るために頑張ったけど、
やっぱり簡単にメンバーに入れてもらえず
2年連続メンバー外でした。
悔しかったです。
なんのためにリハビリ頑張ったのか
わからなくなりました。
本当は3年の夏頃に復帰を目指していたけど、
靭帯が半ギレしてから、
インカレに合わせてリハビリしていたものの、
メンバー外でした。
メンバー発表で名前は呼ばれませんでした。
悔しかったです。
本当に悔しかったです。
2年連続インカレ優勝はしたけど、
メンバーにも入れず、
応援席からただただ見守るだけだったけど。
やっぱり優勝する景色は
応援席にいても素晴らしくて、
ピッチにいたらどれだけ素晴らしいのか…
まだインカレで西が丘のピッチに
立ったことはないです。
今年こそは絶対にあのピッチに立ちます。
3年分の想いを晴らすために。
どこの誰よりもその想いは強いです。
今年も西が丘で優勝して、
笑顔で締めくくりたいです。
自分のインカレに対する想いは強いです。
口だけでなく、結果として出します。
今までの悔しさを今年出しきります。
4年間の集大成として。やりきります。
もう怪我はしたくないです!!!!
1日でも早くまたみんなとサッカーできる
当たり前な日が来るのを信じて、
今できることを精一杯頑張ります。
最後になりますが、
これからも日体大FIELDS横浜、
日本体育大学女子サッカー部の
応援よろしくお願いします。
長くなりましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
●プロフィール
下山 莉子 (しもやま りこ)
・4年
・経歴
SHRINE L.FC→
聖和学園高校→
日本体育大学
日体大FIELDS横浜
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