怪我で得た新たな道
こんにちは。
2年の安澤莉子です。今回は私が咲く場所を考えてみたのですがいまいちピンとくるものがなかったので私が怪我をしたことで得られたことについて書いてみたいと思います。
私は、小学校1年生からサッカーを習い始め今までサッカー一筋で過ごしてきました。このサッカー人生で私は怪我をあまり経験したことがなく、高校時代も一度も怪我人になることのない3年間を過ごしインターハイ優勝も経験し本当に恵まれた日々を過ごせていました。
大学に入り、レベルが格段に上がり、ついていくのに必死な日々を送っていました。入学して早々、私は練習試合で膝蓋骨を骨折し手術することになりました。初めての怪我でそれも手術という注射が大嫌いな私にとって最悪のオンパレードでした。最初お医者さんからは手術をすれば3ヶ月で復帰できると言われていたのでそこまで重く考えてはいなく手術の点滴をとりあえず頑張ろうと思っていました。笑この時の点滴は4回も失敗され、最高に最悪でした。笑
手術が終わり、リハビリをする日々が始まりそこで私は理学療法士さんと出会いました。ここが私の人生におけるターニングポイントとなりました。初めてのリハビリでは立つことも精一杯、靴を履くのも手伝ってもらわなければ履くことができないという自分の足じゃないような気がしました。常にナースコールは私のお友達でした。私の担当をしてくださった理学療法士の方はとにかく膝が早く良くなるようにどうしたら良いか考えてくれ、私の怪我は症例が少なかったのでたくさん調べて私に教えてくれました。思うようにリハビリが進まず、サッカー をやめようか本当に考えた時期もあり、その時も話を聞いてくれ応援してくださりました。私はその理学療法士さんに出会わなかったらサッカー をやめていたと思います。そして、患者である私のことを一番に考えてくれ真剣に向き合ってくれる理学療法士にいつしか憧れを抱き私もそのような存在になりたいと思いました。
ですが理学療法士になるのは決して簡単なことではなく、資格を得るためには大学を卒業したあと専門学校に4年間通わなければいけません。そう考えたときに私は日体大を途中でやめて専門学校に行こうかとも考えました。同期や先輩にも相談し、たくさん話を聞いてもらい、考えた結果しっかりと復帰することがまず大事であって、復帰もせず辞めて別の道に進むのは単なる逃げでしかない、だからサッカー人生を悔いなく終われるように4年間やりきると決めました。
私はATと理学療法士の資格を取得を目指しており、取得できたらスポーツをしている方を主に担当することができれば良いと考えています。私自身スポーツによって怪我をし、うまくいかないことばかりのリハビリを経験し、たくさん親にも迷惑をかけ、怪我をすることで学ぶことがたくさんありました。自分と同じような思いをしている方を精神的な面でも、身体的な面でもサポートしたいという思いが強くまた、これはこのような経験をしてきた私にしかできない使命だと考えています。なので残り3年間、サッカーにおいて努力をし続け、たとえ4回手術をしてもしっかり復帰し全力でプレーできるということを証明することと、勉学も怠らずしっかりと自分の決めたことをやり遂げたいとおもいます。そして将来、理学療法士として輝くことができるよう、理学療法士として怪我をして辛い思いをしている方が1人でも笑顔になってもらえるよう、日体大サッカー部として今、私がやらなければならないことを全力で全うしていきます。
まとまりのない文になりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも日体大FIELDS横浜、日体大女子サッカー部の応援をよろしくお願いします!
●プロフィール
安澤 莉子(やすざわ りこ)
・2年
・経歴
日テレメニーナセリアス
→常盤木学園高等学校
→日本体育大学
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