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1番強くなれる瞬間

初めまして。
ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエ出身の
1年の田村かのんです。
このようなところに
自分について書くことが初めてで
拙い文章になりますが、
この機会に私のことを少しでも
知っていただきたいと思っているので
お時間のある方は読んで頂けると嬉しいです。

私は小学1年生の頃に兄の影響で
地元の男子チームでサッカーを始めました。
幼い頃の私は色白で髪がとても長く、
バトンやピアノなどの
女の子っぽい習い事をしていましたが、
小学1年生から突然男の子に混じって
サッカーをやり始めてからは
肌は黒く、髪も気づけばどんどん短くなり
バトンもピアノも全部やめて
いつのまにかサッカー一筋になりました。
可愛くて女の子らしいものが大好きだった私が
泥んこの傷だらけで、汗まみれになる
サッカー漬けの毎日を選択するとは
私を含めて誰一人予想していなかったと思います。

そんな私がサッカーを選んだ理由は
小学生の頃所属していた男子チームで
同級生をはじめ、上級生、下級生が
たった1人だった女子の私を仲間にしてくれたことや
コーチや監督、周りの大人の方の
優しさや厳しさ、暖かさのおかげで
サッカーの楽しさをたくさん学び、
サッカーが大大大好きになったからです。
サッカー人生の原点であるこのチームにいなければ
私は大学生になった今でも
サッカーを続けていなかったかもしれません。

中学生になってからは、
ノジマステラ神奈川相模原に入団し、
高校までの6年間、このチームでプレーをしました。
ここで過ごした日々は
かつてないほどの嬉しさや悔しさを経験し、
自分自身を最も成長させてくれた時間と場所であり
言葉では表せないほど人生で1番濃い6年間でした。

私はノジマステラに入団してから
「誰かのために」という言葉を
先輩方や監督、コーチから
チームの合言葉のように何度も何度も聞き、
自分自身も口にしてきました。
最初の頃はこの言葉の意味を
深く考えずに使っていましたが、
今では、私にとってとても大切な言葉です。

私は
どんな状況でもいつも味方でいてくれる家族
いろいろな困難を乗り越えて
今でも互いを刺激しあっている中高の仲間達
毎日のように叱られて厳しいことも求められたけれど常に愛に溢れていた監督やコーチ
大学生になった今も変わらずに応援し続けてくださるノジマの時からのサポーターの方々
会うと疲れを吹っ飛ばすほど
たくさん笑わせてくれるパワフルな友人達
そして、
今年、日体大に入学したことで出会えた
互いに高め合い、励まし合い、支え合える22人の同期
今まで知らなかったサッカーの奥深さをたくさん教えてくださる先輩方、監督、コーチ
日体大女子サッカー部、日体大fields横浜を
応援してくださるサポーターの方々

これまでの人生を振り返ると
たくさんの素敵な方に出会い、
支えられてきました。
私は本当に周りの人に恵まれています。
そしてその方々のおかげで
今日、私はサッカーを続けることができています。

そんな私の1番の思いは、恩返しをすることです。
この人のために、この人達のために、
大切な誰かのために
戦いたい、走りたい、頑張りたい。
下手くそだけど、1人のサッカープレーヤーとして
ピッチの上でその思いを表現することが
私がするべき恩返しだと思っています。
だからこそ、私はこの「誰かのために」という
言葉と思いを大事にしています。

誰かのために戦う時が
1番強くなれる瞬間だと私は思います。
笑ってほしい、喜んでほしいと思う大切な人達が
私にはたくさんいるから
戦えて、頑張れて、強くなれます。
そして、そんな誰かのために戦っている時が
私が咲いている場所であると思っています。

日体大で過ごす4年間、
日体大女子サッカー部員としての
誇りと覚悟を持って、
誰かのために強い気持ちを持って戦える選手になれるように日々成長していきたいです。

まとまりがなく、長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも、日体大女子サッカー部、日体大fields横浜の応援よろしくお願いします!

#私の咲く場所

●プロフィール
   田村 かのん (たむら かのん)
    ・1年
    ・経歴
      ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエ
     →日本体育大学
      日体大fields横浜

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