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自分にできること

こんにちは!3年の森本紗也佳です。
このように文字にして自分の気持ちを表すとなると、あまり得意ではないしうまくまとめられないのですが、自分なりに書いていこうと思います。
よければ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

自分がサッカーを始めたのは小学1年生の時です。男子の中に混じって女子1人。不安でしかありませんでした。練習中に「おいババア」「うるせぇジジイ」などといった小さなケンカが絶えなかったり、2人組を組むとなっても自分だけ省かれて1人になったり。笑
今となってはいい思い出だし、ケンカしていた相手とも今はとても仲良しですが、当時はやめたい、練習に行きたくない、などといった気持ちでしかありませんでした。

中学では女子のクラブチームでサッカーをしていました。その頃は女子サッカーをしている人は珍しいし、FWでバンバン点をとるタイプでもあったので周りからチヤホヤされたり、絶対的存在とまで言われ調子に乗っていました。笑

「高校に上がる時には絶対に県外に出て、1年から活躍してやる。」

そう決めて3年生の夏、岡山県にある作陽高校の体験に参加し、そのまま入学を決意しました。

ところが、入学直後に現実を突きつけられました。毎年全国大会に出場しているだけあって、全国各地からレベルの高い選手が集まり、到底自分がかなうレベルではありませんでした。
もちろんFWは速攻クビ。池田浩子監督(通称ごぴさん)には「お前みたいなFWはいらない。点とれねぇなら必要ない。守備しろ守備。」とまで言われ、寮生活から抜け出して今すぐ家に帰りたいと思いました。それ以降自分はDFをしています。笑 当時は先輩からの指導も厳しく、寮食がカレーの日には具は先輩のもの、1年はただのルーしか食べてはいけない、などといった細かいルールに耐えきれず、寮の屋上で1年生で集まって泣き叫んだこともありました。笑
もちろん練習も厳しく、気弱な自分にとっては魔の時間と感じたこともありました。

でもなぜ今までサッカーを続けてこれたのかなと考えた時に、やっぱり頭に浮かぶのは「サッカーが大好き」という気持ちでした。
みんながよく言う、「自分からサッカーを取ると何も残らない。自分にはサッカーが必要。」の言葉はベタかも知れませんが、本当にその通りで、サッカー一筋でやってきた自分からすれば、人生からサッカーがなくなると本当に何も残らないと思います。

ごぴさんに言われた言葉の中で1番心に残っているのは、
「お前は本当にチーム1サッカーが下手だ。足元の技術もないし、人一倍走れるわけでもない。でもなぜ私がお前を試合に使うと思う?人一倍声を出しているからだよ。お前から声を取ったら本当に終わるよ?少々の失敗を気にして引きずって声が出せないなら他のやつにチャンスを譲れ。」
という内容でした。
自分の仕事はこれなんだなとはっきりした瞬間でした。

自分は気弱でビビリで自分から積極的に話しかけたりすることが苦手です。いつも誰かに手助けをされてここまできました。人に相談することにも勇気を振り絞らないと話せないし、周りにどう思われてるんかなってよく気にしてしまいます。
でも、サッカーをしているときは本当の自分でいられるのかなって感じます。自分は人に対してマイナスな声掛けをしたくはないし自分もされると落ち込むので、ミスが出てもチームを鼓舞する声掛けができるよう心がけています。
下手なのは重々承知していますし、まだなにも結果を残せていません。ミスばっかりで迷惑をかけて何もできなくて練習に行くのも辛い時もありました。
でも自分には支えてくれる同期のみんな、また、一人娘をここまで出してくれた両親、これまで支えてくださった方々がいたからこそがんばれました。

残りの大学サッカー生活、必ず結果を残して恩返しができるように、全力でサッカーを楽しみたいと思います。
そして、声が枯れるまで出し続けてチームのために何か一つでも役に立てたらいいなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後とも、日体大FIELDS横浜・日体大女子サッカー部の応援をよろしくお願いいたします!

#私の咲く場所


●プロフィール
   森本 紗也佳 (もりもと さやか)
    ・3年
    ・経歴
     F.C.CORMOLADIES AZALEA
    →岡山県作陽高等学校
    →日本体育大学
     日体大fields横浜

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