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「李も桃」ってちょっと雑なまとめなのでは

いちはらさん

いやはや,それはそれは暑い夏でした。
というか,スタートが早かった。夏の。

5月頃に「この暑さ,9月いっぱいとかまで続いたらマジでヤベえですわよ……」と思っていましたが,ここ数日はほんのり秋の雰囲気も漂いはじめており,ちょっと安心しています。


「雨がたくさんふると,大きくなる。お日さまが照ったぶんだけ甘くなる。だから,雨ばっかりだと,みてくれはいいけど味がスッカスカになっちゃうのよねえ…」

ずいぶん前の,雨続きの冷夏だった年に,母がそう言いながら剥いてくれたいただきものの大きくて立派な桃は,食べるとたしかにうすらぼんやりとした味で。追熟したら甘くなるだろうかと数日おいてみたものの,身がもにょっと柔らかくなるばかり。今年の桃はいまひとつか…と,しょんぼりとしたのでした。

その点,ここ数年の猛暑をうけて,果物は当たり年が続いています。

もちろん,果樹農家さんたちの技術が上がってもいるのでしょう。それにしても,果物の「でき」は,毎年の天候に左右されるところが大きいから農家さんはたいへんだなあ…と,美味しい果物のありがたみを噛み締めながら,買い物かご片手にスーパーの青果売り場を歩いていると,「安定の美味しさ!」という顔をした(ようにみえる)バナナがそこに。うん,バナナ,きみはいつだって美味しいね…。


バナナといえば,世に広く供給されているメジャーな品種は,基本的に株分けで増やしたもの,つまりは「クローン」。したがって,この品種を特異的に侵す病原菌が蔓延した場合,世界中のバナナは一網打尽にやられてしまう,という話を思い出しました。

朝食用に購入したバナナを冷蔵庫の野菜室にしまい,遺伝子の多様性,種の保存,脆弱性…などの単語をアタマのどこかに感じながらtwitterを開いたところ,ひとつの研究報告に関するツイートに,iPhoneをなぞる指が止まりました。

見た目が似てる人どうしは,血縁がなくても遺伝子が似ている

……は?

元の論文,ちゃんと読み解けていないので「遺伝子が似てる」というのが,どういうレベルで似ているのか,までは理解できていないのですけども,どうやら「血縁者じゃなくても,遺伝子が似ていると,見た目が似るし,ライフスタイルも似る」みたいなことが書いてあるっぽい…?

え,もしかして。もしかしてなのですけど。遺伝子が似てると,脳の基本構造,あるいは思考パターンの基本構造も似たりするんだろうか…

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市原さんが先日のおてがみでもおっしゃっていましたが

しかし、思考ってすべてが言語ベースで行われているわけではないんじゃないか。

ヒゲとドワンゴでヒゲンゴだ
Shin Ichihara/Dr. Yandel

これ,本当にそう思います。そして,「あの人の思考パターンをトレースしたいけど,言語じゃおっつかないなあ,どうにか脳を直列で繋げないもんかしら」とか,たまに空想するんですけどもね。

漫画やらアニメやらで,敵のボスが,自分の記憶/人格を他者にダウンロード/インストールして,若返ったり命拾いしたりすることがありますよね。その処理が終わったあとの最初のセリフは「あたらしい身体(ボディ)とのなじみ具合」に関するものであることが多い気がします。

「誰かの脳内の記憶を抜き取る特殊能力」は、文章化された記憶と共に、非言語の、ヌルッとした、蓴菜(じゅんさい)のまわりのネトネトみたいな、情動的なものをもごっそり抜き取ることになるか、あるいは、そのネトネトの部分を無視して文章だけを引き抜くかのどちらかになると思うんだけど

ヒゲとドワンゴでヒゲンゴだ
Shin Ichihara/Dr. Yandel

この,抜き去った記憶の,ウェットな部分まで。あますところなくぜんぶを,遺伝学的にとても遠い他者に,まるごとぶちこんだなら…?


「なじむ」どころか,某アニメのゲルバナナのようになる末路ばかりが浮かんできて,背中にじわりと嫌な汗を感じます。

表出した/された言語で繋がるくらいがちょうどいいのかもしれない


ことし最後の桃を剥きながら,そんなことをぼんやりと妄想していました。

(2022.8.26 西野→市原)