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わりと連綿と続いているモノとかコトとか
いちはらさん
聖闘士星矢。突然に回帰しましたね。完全に油断していました。
聖闘士星矢ですか……それは星座の神話さソルジャー・ドリーム……
ということでふと思い出しましたが。
かつて星占い界隈で「第13の星座」として「蛇遣い座」が提唱されてから10年以上が経ちますけど(注:あとで調べたら25年経ってました こわっ),あれ根付かなかったのはなんでなのかなあということを,たまにうっすらと考えます。
提唱された当時は「えー,あたし乙女座だったのに獅子座になっちゃうー」と悲しむふんわり占いスキーな女子から「やったぜ射手座!」と喜びの声をあげる星矢脳の男子まで,けっこうな話題になっていました。美容室で手にしたファッション誌,あるいはTVのワイドショーですら「怖いほど当たる!13星座★星占い」みたいなプチ特集を目にしましたから,それなりのインパクトをもっていたと記憶しています。今でも「あぁ,なんかそういう話,あったね」と覚えている人も多いはずです。
そんな衝撃が,一過性で(ほぼ)終わってしまった。続かなかった。なぜ?
たとえば,それまでの伝統的なスタイルを重んじる人が多かった? 新説を採用した場合の負担を主流派が避けた? 「13星座派」の根回しが足らなかった?
……さまざまに,それらしい理由を妄想はできます。
でも,できれば。
「星占い」という長きにわたって積み上げられてきた1ジャンルにおける考え方・様式の観点からさまざまに検証した結果,「蛇遣い座」という定義が「正確さに欠けた」から,定説とはならなかった……みたいな理由であってほしいな……という,謎の個人的願望があります。
いずれにしても,当の「蛇遣い座」からしてみれば,持ち上げられたり梯子を外されたり,なんともはた迷惑な騒動だったろうかと,ちょっと申し訳なく思ったりするシャイナさん推し(1年ちょいぶり2度目)のわたしです。
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ちかぢか知り合い夫婦に子どもが産まれる予定です。数ヶ月前までは「産まれる子は蠍座かな? 天秤座かな?」などと呑気に話していましたが,このご時勢,とにかく無事にと願うばかりです。
そんな中にあって,子どもの名前どうする問題で夫婦はずいぶんと頭を悩ませていたようです。
この字を使いたいけど,これは読み方がよくない,画数が悪い,並びの見た目がイマイチ……
そういえば,以前わたしの友人が自分の娘の名前を「“裸一貫で財を成す”っていう画数だったからこれに決めた」とか言っていましたっけ。
「姓名判断」は占いに分類されるのでしょうが,「祈り」の成分がやや濃いめのジャンルのようにも思います。
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もう7年ほど前になりますか。いちはらさんが よう先輩とお遍路に出かけられた際,SNS上でフォロワーが専用のハッシュタグをつけて「縁起物の写真を投げつける」的な企画がありましたね。
その前後で,どなたかが「お遍路って,それはそれはツラいものだけど,ツラいだけならこんなに長く人々の間で続いていないと思うんだよなあ」というようなツイートをされたことを,今でも覚えています。
冠婚葬祭のような大きなものも含め,気づけば日々の生活は「昔から続くちょっとした儀式」あるいは「祈祷・まじない・迷信の類」の数々に囲まれていますけども,ふとした拍子に「そういうのって,けっきょくは自己満足っしょ?」「惰性だわ」「意味とかないよねー」……なんていう誰かの言葉をみるにつけ,先のツイートがまぶたの裏で明滅するのを感じます。
自己満足だけで,惰性で,そんなに物事って長いこと続くのだろうか。じゃあ,意味とかメリットが明確であるかぎり,物事は永続するのかしら。
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……聖闘士星矢ネタから連想をスパークさせていったら,とりとめもなくなってしまいました。それってお手紙への返事としてどうなのよという疑問もいだきつつ,今なお人気の続くコンテンツの強度・吸引力のせいにして,本日はこのへんで失礼します。
(2020.10.30 西野→市原)