目の下の影

休日の朝は、マンション内のジムに行く。

エレベーターで1階まで降り、人工芝の広場を横切ってガラスの扉を押しあける。早朝なので、私のほかは誰もいないことが多い。

ストレッチをしてから、30分ほどウォーキングマシンを使って体を温める。明らかに顔色がよくなる。まさにばら色の頰といった感じ。

今日もいいスタート。

だが、その日は違った。ジムの壁のうち3面は鏡になっている。ウォーキングマシンの前も鏡だ。テレビ画面から少しでも目をそらすと、自分と目があうことになる。

苦しくならないギリギリの速歩をしながら、その時、ふと気づいてしまったのだ。自分の目の下に半月形の影があることに。それは血行不良によるクマというより、皮膚のたるみが作る影と見受けられた。

なぜ?と思った。

この数カ月、繁忙期の慌ただしさできちんと睡眠がとれていなかったからだろうか。実際、一気に老け込んでも不思議ではない生活だった。それに、このメキシコ中央高原の、乾湿計の針が振り切れてしまうカラカラの気候。そして高地ゆえの多量の紫外線。

30才を過ぎて、身体のところどころに変化を感じてはいた。たとえば、肌が乾燥しやすくなった。それから、20代の同僚の手の甲を見て驚いた。私の手は、関節と血管が目立ってきている。

そして今や、目の下に半月形の影があるなんて。私は涙袋がないから、不幸中の幸いで、たるみとは当分無縁だと思っていたのに。

強い抵抗を感じた。

私は、自分の見た目が変わって行くのが嫌だ。

若くありたい。普遍的な、でも不毛な願いだと思う。時は確実に私の上に形跡を残して行く。誰も抗えない。

私はどうなりたいのだろう。5年以上前から、ヨガのポーズをとったり、ジムで運動したりしている。仕事と家族のこと以外で、時間を割いていることといえば、化粧品や美容法探し。それが一番楽しいし、他のことを全部忘れて没頭できる。これほど私を引きつけるものはなんだろう。なぜ、若く魅力的でいたいのだろう。

インスタグラムでフォローしている元モデルの女性が、以前、こう投稿していた。

「素敵だね、3人の子持ちにはとても見えない!って言われるけど、私は3人の子のママに見られたい。妊娠で伸びたお腹の皮も大好き。私を健康的に見せてくれてる。」

皺の寄った腹部を動画で見せながら。

もともと美しいから、その余裕が生まれるのだろうか。あるいは、育った環境などのおかげで自己肯定感が高いのだろうか。

とはいえ、その彼女は、コーチをつけてエクササイズに励み、毎日30ステップのスキンケアを欠かさないらしい。そのモチベーションは何なのだろう。現状を肯定してしまったら、よりよくするためのエネルギーは湧いてこないのでは?

自分を受け入れた上で、よりよいものを目指すって、どういう気持ちのありようだろう。

その境地に至る筋道はまだわからないけれど、それを実践できたら、楽しそうだ。

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