のっぴきならない人たち
占いを仕事にしていると本当に「色々な人たち」に出会う。
「色々な人たち」‥
簡単に6文字にしてしまい一気に具体性が欠けてしまったが、当然のことながら僕の頭の中にはめちゃめちゃ具体的に一人一人の顔が思い浮かんでいる。
ある人はとても明るく「小さい頃親に虐待されていて」と言って笑った。
ある人は少し恥ずかしそうに「どうしても性欲を抑えることができないんです」と言った。
ある人はその時さんざんワイドショーを賑わしていたニュースの関係者だった。
ある人は肉親との深い愛憎関係に疲れきっていた。
ある人は凛とした瞳で「お金が欲しくて風俗で働いています」と言った。
ある人は「好きになればなるほどどんどん辛くなる相手」をどんどん好きになってしまっていた。
ある人はかつて自分がおかした過ちの罪悪感から「何をしても楽しめないんです」と言った。
ある人は僕でも名前を知っているような有名なアーティストだった。
ある人は「私ぃ〜特に悩みはないんですけどぉ〜〜」と言っていたのに最終的に号泣していた。
ある人は仕事の人間関係に人生のすべてのエネルギーを持っていかれていた。
ある人は手首に巻きつけられた布をさすりながら「生きてる意味がわからないんです」と言った。
僕もなかなか普通じゃない紆余曲折を経てきた人生だと思いますが、これだけ多種多様な人に会うと、中には当然全く想像したこともない修羅場を経てきた人・経てる人もいて、本当に毎度「多様性」とか「千差万別」とかそんな言葉じゃ足んねーわ‥と痛感させられっぱなしなのです。
みんな、マジで、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、頑張って生きているんだ。
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そんな人達を前にして、僕が手元に持っているアイテムは大別するとなんと3つだけ。
西洋占星術の「ホロスコープ」、東洋の「命式」、そして「タロットカード」。
これだけである。
正直、のっぴきならない状態のお客さんに対して、いささか頼りない装備である。
ドラクエで言うと「ゾーマに対して遊び人が ひのきのぼう だけで対峙している」みたいな感じか。(言いすぎか)
しかし、僕もただの「遊び人」ではない。
それなりに経験値もあり、レベルも積んできている「遊び人」だ。
なろうと思えばダーマ神殿で「賢者」にだってなれるんだからね!
(ドラクエわからない人スマン)
しかし、僕は「賢者」には転職しない。
そこには僕なりの理由があるが‥‥今は関係ない話なので割愛。
とにかく、僕は「遊び人」のまま「ホロスコープ」「命式」「タロットカード」というアイテムだけでお客さんの人生に真っ向から対峙することとなる。
「遊び人」とはいえ、そこは真剣勝負。
どんな境遇の人が来るのか毎回未知数なので、顔はヘラヘラさせつつも、心はしっかり構えている。
そして、大胆かつ慎重に、ヒリヒリしながら、ギリギリのラインを進む。
ヒリヒリ‥
この感じ、どこかで感じたことあるな。
あ
ステージの上!
(#占う男 は元バンドマン↓)
ステージの上というのは嘘がつけない場所である。
どんだけカッコつけてても、どんだけ取り繕ってても、滲み出る「嘘」や「手抜き」や「不誠実さ」はお客さんになぜか伝わってしまう。
それは恥ずかしながら僕が身をもって体験してきたことである。
思ってもないような歌詞を歌ってもエモーションや真実味に欠けるし、練習が足りないのに上手く演奏するなんて無理だし、「どうでもいい」と思っていればお客さんにも「どうでもいい」と思われる。
だからめちゃくちゃ誠実に曲を書いて頑張って練習したり準備して本番に臨まなくてはいけない。
しかも、一旦ステージに上がってしまえば、白々しい嘘や小細工は一切通用しなくなってしまう。
そこは「やる」ことしかできなくなる世界。
it's automatic.
「やる」しかできない。
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占いの現場も似たようなものである。
そこには少なからず人の人生や気持ちが関わっているので、大した準備や心構えもなく「ちょっとした軽いノリで⭐︎」みたいな気持ちだけでいると必ず痛い目にあう。
もちろん中には「ちょっとした軽いノリで⭐︎」を望むお客さんもいるから、その場合は全力で「ちょっとした軽いノリで⭐︎」をやるけども。
しかし、当然のことながら中には「私は人生というものがまるでわからなくなってしまいました」というような人もいて。
いわゆるひとつののっぴきならない状態。
そんな人に小手先の「金星と土星のアスペクトが‥」みたいなの、マジで全然役に立たない。
当人が求めてるもの、それは占いの上手さや診断の華麗さみたいなものじゃない。
なんか、なんか、、なんか、1つでも、いいやつ、、嬉しいやつ、、心が明るくなるような、ホッとできるような、なんか、、なんでもいい、something...情報を‥
だ。
情報。
ここで少し、この、「情報」というものについて考えてみたい。
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「情報商材」とか「情弱」みたいな言葉がはびこる昨今、「情報」というものは少し誤解されていると感じる。
「情報」というのはなにも「当該事項に関わる数値や状況」とか「具体的で明瞭なデータ」みたいなものだけではないはずだ。
もちろん占いで「一年後はこんな感じ」とか「こっちの方がいいのでは」みたいな「情報っぽい」ことは言える。(それも「情報」というには朧げすぎるけど)
でも多分そんな「情報」よりもっと大事な「情報」があるはずだ。
少なくとも僕はそう考える。
そしてそれは、十中八九、目に見える外側じゃなく、目に見えない内側に、ひっそりと、ある。
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音楽のライヴを思い出してみてほしい。
そこにはサウンドとか歌詞とかアーティストの表情とか会場の雰囲気とか、様々な情報が渦巻いている。
情報の坩堝だ。
そんな中、あなたはそのライヴに骨の髄まで心酔する。
涙が流れたり、めちゃくちゃテンションが上がったりするだろう。
でも、待って。
その感動ってどこに由来するんだろう?
サウンド?歌詞?MC?一体感?もしくはそれら全部?
きっと上手く言葉にできないはずだ。
上手く言葉にできないけど、サウンドや歌詞や雰囲気みたいなものが自分の中の「何か」と結びついて、必ずなんらかの「感情」(≒情報を感じる)をもたらしているはずだ。
僕が重要視したいのは、その、「何か」。
目に見えない、内側の、「何か」。
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だから当然僕の占いでは「当たる」「当たらない」みたいなことはそれほど重要視されなくなる。
「あなたは〇〇ですね?」「すごい!なんで当たるの!」
これはエンタメ的には賑やかになるし、掴みとしてはあってもいいんだけど、実際問題としては「で?」という話である。
「情報」というには少々薄っぺらい印象。
何より、占った結果があんまり良くなかったら、そんなの、あまり当てたくない。
真の「情報」はいつだってお客さんの言葉や表情の中にある。
「なんか〜、〇〇だったらどうかな〜っ、みたいな〜」とか、「私は〜特に悩みとかないんですけど〜、‥」とか。
「〇〇」とか「‥」の部分を上手く抽出して蒸留し、その言葉や間が「なんでその言葉や間になったのか」を裏の裏まで精査するのだ。
軽やかに、そして、しつこく。
おそらく僕はそこに命をかけている。
そしてその「なんでその言葉や間になったのか」を解きほぐしていくのに、前述の「いささか頼りない」アイテム達(ホロスコープ、命式、タロットカード)が、一転して、光り輝き、これはもう、ほんとに、ビックリするくらい、
役に立つ!
役に立つんです!
魔法です!
🧙♂️✨
魔法のメカニズムや技術的・知識的なことは、ここでは省きます。
本筋ではないので。
‥にしても、しかし。
こんなにすごいアイテムを必死の思いで何千年もの間受け継いできてくれた先人達には、毎度のことながら、感謝&リスペクトの気持ちしか湧かないのであります。
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僕は今、自分がそういう連綿と受け継がれてきた占いという知恵を扱う者の端くれであることに、ある種の使命感のようなものを感じてきています。
大げさではなく。
なぜなら、今まで対面してきた「のっぴきならない人たち」の顔をどうしても忘れることができないからです。
ああいう表情はおそらく現代の“斜陽”日本にはゴマンとあるんだろうな。
あの顔はどこに行くんだろう?
あの顔はこれからどうするつもりなんだろう?
そんなことを考え出すと、「ひょっとしたらこの人たちは単に僕のことを知らないだけで実は潜在的に僕の占いを必要としているんじゃないか」という気持ちが湧いてきてしまい、自然と占いをやめるわけにはいかなくなるんです。
もちろん、そんなのは自分を過大評価し過ぎだし、勘違いも甚だしいと我ながらに思いますけど、でも、なぜか、僕としてはそう思ってしまう、そう思えてしまう、そう思うしかない、そういう、自分でもよくわからない、全く無根拠な、止むに止まれぬ衝動があるんですね。
だから、こう言いたい。
「オレも毎日クッソ辛いけど、いつでもここでヘラヘラしているぞ!なんつったってオレは『賢者』ではなく『遊び人』だからね!まあ、気が向いたら連絡してください。」
それを言いたいがために毎日ツイートし続けています。
本当に、気が向いたら、お気軽にお声がけください。
対話して、「情報」を掴んで、占いで解きほぐして、2人で「それ」を眺めましょう。
「それ」が分かれば、そこはもう、あなたのステージ。
it's automatic.
あとは「やる」だけです。
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nsikyg@gmail.com
サポートは神