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日記 2024/01/01 過去との付き合い

実家にいる間はずっと母と話している。
母方の祖母もおしゃべり好きなひとだった。自分の思っていることをたくさん言葉にして話すひと。母も年々そうなっているように感じる。

前職での色々な記憶に縛られて、忘れたいのに忘れられないという話をした。
母からは、無理に忘れようとするのは難しいし、無理だよ。一度ついた心の傷は塞がることはない。蓋をしているだけ。蓋の開く頻度は徐々に下がっていくだろうけれど、傷自体がなくなるわけではない。ふとしたときに蓋は開く。
だから、蓋が開いたら辛かったねと自分を慰めて、また蓋をする。また開いたら同じように慰め蓋をする。その繰り返しをしていくんだよ。
そう言われた。
それが「日にち薬」ってやつなのかもしれないと思った。

先日読んだ「シナモロールの『エチカ』」に「過去の悲しみや苦しみを克服する力をみんな持っている」という一節があった。「どんな人にも、つらい過去や思い出を乗り越えたり忘れたりする力がある。」と。その言葉で、ああわたしもいつか、このつらさから開放される時が来るんだと思えてとても救われた。でも、同時に、いつ開放されるんだろう、そして、苦しんでいる今のわたしはどうしたら良いんだろうと途方に暮れた。

前職を辞めてからそろそろ半年近くの月日が経とうとしている。それなのに、今でもまだ呪いのように記憶は取り憑き、それはふとしたきっかけで鮮明に蘇る。もうずいぶん経つのに、今でも大げさに痛がって泣いている自分の姿が、かわいそうな人ぶっているようで恥ずかしかった。それに、つらいことが思い出されるのは苦しい。だから、もう絶対、今年はこの記憶を手放さなくてはならないと思っていた。

でも、手放そうと思って手放せるものではない。忘れようとすればするほど、逆に意識がそちらの方へ向いて、嫌な記憶は思い起こされてしまうかもしれない。
だから、忘れるようとするのではなく、蓋が開いたら自分を慰める。つらかったね、と認める。今さら否定したところでわたしの過去に感じたつらさは変わらない。認めるしかない。それしかできない。
ただ、つらかったね、のその先は見ない。だからこうしておけばよかっただとか自分の選択が正解だったとか間違っていたとかそういうのを考えることはしなくて良い。
事実だけを見て、認める。

そうやって、過去との関係性をうまく取りもっていけたら、わたしはもう少し息がしやすくなるのかもしれないと思った。


実家のいぬ、いびきや咀嚼音、足音、何から何まで全てがかわいい。どれも人間が出していたら不快に感じそうな音なのに、いぬのは愛おしさで胸がいっぱいになる。でも彼女はわたしをみると爆速で自分のテリトリー(ケージ内)へ逃げていく。ウ~ン、かわいいから許すっ……!

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