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日記 2024/02/17

2024/02/17度(土)
 7時頃起床。朝食、なし。
 軽く部屋を掃除し、散らかっているものを整理整頓した。半月くらい前に買ったのに家の中で紛失させてしまっていたふりかけを発見することができた。どこか奥の方に落っことしてしまっていたのかと思い込んでいたが、ただ丁寧にしまいすぎしまった場所を忘れただけだった。もう無くさないよう、冷蔵庫のドアに磁石でくっつけておいた。
 実家へ帰る。近所なので気が向いた時に帰りまくっている。母が帰宅するまでは読書ノートをつけたり読書をしたりして過ごした。最近は本の中に逃げ込んで過ごしていたので、わたしにしてはハイペースで読んでいた。読書記録は気が向いた時にまとめてするので結構溜まっている。
 母帰宅。昼食を作ってもらう。わたしの方がずっと家にいたんですけれどもね……へへ……。午後はずっと母と話していた。最近見た映画やドラマの話をする。母は主演が誰、とか誰が出演している、とかを真っ先に聞いてくるひとなのだけれど、わたしは芸能人の名前に疎く意識して見ない。というのもあると思うが、一時期すごく素敵だなと思った方がいて、母にもその芸能人がいかに素敵かを話しまくったにも関わらず、急にお名前をド忘れしてしまった。もう若くない母はともかく、わたしの記憶力はどうなっちゃっているんだと思ったし、母にもおばさんか!と言われた。確かにこれでは20代の娘と中年の母の会話ではなく中年と中年の会話みたいだ。
 父にピアノを弾いていいぞと声をかけられる。なぜ許可制なのかというと、もともとうちにあってわたしが弾いていたピアノが父の店に連れて行かれてしまったからだ。父とわたしは仲が良くない。これは険悪というのではなく、無関心な方なので結構最悪だ。関心がないので当然喧嘩もしない。でも、ピアノは小さい頃からわたしや姉に両親が買い与えてくれたものだと思っていたし、大学受験の折に習うのをやめた後もまったく弾かなくなったわけではなかった。父にしてみればもう家には必要ないものだったのかもしれないが、わたしにとっては違ったのだ。久しぶりに父に対して少し怒った。それから、ピアノは戻ってこなかったが、わたしの実家の部屋にはお古のキーボードがきて、父はピアノを使っても良いタイミングを申告してくるようになった。
 開店前の父の店に行き、ピアノにさわる。調律をし直したらしく、全然音色が変わっていた。家にあった頃は音漏れも考慮して控えめだったのにすごく鳴りが良くなっていた。おとなしかった子に再会したらギャルになっていた!みたいな気持ちだ……。さらには他の楽器とセッションするためにピッチまで変えられていた。もう家のピアノではなかった。
 日常的に弾かなくなって何年も経つので毎度指が硬い。今のわたしの指の使い道はもっぱらキーボードを叩く方だ。同じような動作にも見えそうだが、使う力や指の運びが違う。もう習っていた頃に弾いていた曲なんてほとんど弾けなくなってしまった。ハノンでひたすら指ならしをして、簡単に弾けそうな曲を少し弾いたらタイムリミットだな〜なんて思っていたら父がやってきていそいそとトランペットを取り出している。初見で弾ける?といきなり尋ねられる。一緒に演奏したいらしい。何曲かやったけれどわたしはもう初見の譜読みと演奏を同時進行することはできなくなっていた。しかも合奏って!中学の合唱の伴奏ぶりだよ!当然ボロボロだった。父は練習しといて〜と譜面を貸してくれた。いや、わたしのひとりの家には鍵盤楽器がないんですけれど……。いきなりのセッションに困惑しつつ、父は、娘とこういうことを楽しみたかったのかとちょっとしみじみしながら店を出た。自分勝手で人の気持ちは汲めないし、相手に自分の気持ちを伝える言葉もほとんど持っていないようなひとだ。音楽の方が案外会話になるのかもしれない。そして、音楽は演者側なら確実に誰かとやった方が楽しい。
 夜はピザを取る。実は今日の実家帰宅のいちばんの目的。母は食事が足りないというのをとにかく嫌うので結構な量のピザとサイドメニューが並んだ。食後に持参したフィットボクシングで遊んで、21時頃実家から帰宅。風呂でまたアヒル隊長を爆進させ、浴槽内でダラダラとし、0時30頃就寝。


ゴンチャロフ(甘味画廊)のチョコレート缶に姉の好きな葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川県沖浪裏」の絵柄があったので渡した。
姉の大好きな赤富士もチョコレートにプリントされており、大いに喜んでもらえた。

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