311大きなオベリスク6_サイド_

美しさは「姿」だけではないと気づきつつ。

折り紙を折っています。

ずっと、
自分は「折り紙作家」であって「折り方作家」ではない、
などと思っていたのですが、
このところ、それは素直ではない考えだったと思い至りつつあります。

折り紙の美しさは、
その姿だけで成立しているのではないのです。
出来上がった姿と、出来上がるまでの過程とは、決して切り離せる関係ではないのです。
どう折られてその姿になっているのか、過程と姿との関わりが美しいのです。
生き物が、
姿形だけではなく、その生きる様や体内の活動と絡み合っているからこそ美しいことと、
同じです。

折り紙作家たちは、
正方形1枚を、切らずに折るだけで作品を折るケースが多いようです。
それは、そのほうが折り紙の美しさを感じやすいからでしょう。
複数枚の紙や長方形を使ったり、ハサミを入れたりした作品も
美しい構造や成り立ちを持っていますし、
むしろその美しさは正方形1枚折りを凌駕するほどに豊かでしょう。
ただ、その成り立ちを想像する選択肢が広くなりすぎて、
折った本人以外には美しさを堪能することが少々難しいのです。
「正方形1枚で折った」という単純な情報が、
成り立ちの美しさを想像しやすくしてくれます。

そのようなことに、改めて気づきつつあります。

このことは、演劇の美しさとも同じなのだと、
いまさら思いました。

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