映像の世紀(人類 百年の罪と罰)

人類はホモサピエンスと自称し、地球上の動植物の頂点に立つと思っているが、それはおおいなる過ちであり、単に食物連鎖の頂点に立っているだけだと気付かされた。

公害の始まりとは?


公害の始まりはロンドンのスモッグ(Smoke+Fog)はロンドンの霧に煙突から吐き出されていた煙の合成語です。
最初はロンドンのスモッグ問題が紹介された。産業革命=エネルギー革命が石炭消費量の増加につながり、工場や家庭の煙突から黒煙がモクモクと排出されることになったが硫黄酸化物の害毒に気付かなかった。気付いたとしても拝金主義者の資本家は無視したでしょう。当時のロンドン市民は顔にすすを付け、洗濯物にもススがついていた。この状況は北九州市の八幡区や戸畑区の状況でもあった。
次はアメリカ合衆国のことでヘンリー・フォードがT型フォードを製造するラインの効率アップに革命を起こし、高価な自動車価格を普通市民でも手に入れることが出来る低価格に設定した。ガソリンの価格も安かったので合衆国で自動車革命が起き、その反動として大気汚染や交通渋滞が激化した。ロンドンの石炭ススと違い、洗濯物が汚れると言う現象は起きなかった。しかし、硫黄酸化物、窒素酸化物、微小なススは人の健康を損なう結果を招いてしまった。光化学スモッグ、オキシダント等呼吸器系の病気が増えた。郵便配達員が防毒マスクを装着して配達に出かける映像にのけぞった。そんなことに頓着せず、フォードは車のデザインを規格化して販売台数を伸ばし、GMは様々な車種を製造販売する戦略に打って出た。米国人はフォードの低価格戦略に乗ったが、後にGM戦略に乗り換えた。

環境汚染は地域から周辺諸国へ、そして地球規模へ

環境汚染が地域から周辺諸国へ広がった事例としてドイツ地方の酸性雨問題があります。抜本的対策をせずに小手先の対策の悪い例です。イギリスでは高い煙突を建てて、大気汚染物質を拡散させる対策を取ったら、ドイツ地方の豊かな森(シュヴァルツヴァルト)に酸性雨となって降り注ぎ、森を立ち枯れさせた。その原因に異を唱えたのが米国物理学者フレッド・シンガーで地球環境破壊を激化させた張本人です
次に太平洋戦争で南方に展開していた日本軍の掃討と共にマラリヤ蚊等の害虫対策にDDTが多用された。戦争終結後、日本に進駐した米軍からDDT(白い粉)を振りかけられる様子が映像で流れた。戦後の米国では火薬製造会社は農薬製造会社に衣替えし、食糧増産の掛け声に乗じて莫大な農薬を散布した。
その影響に気付いたレイチェル・カーソン女史は「沈黙の春」と言う本を著して農薬による環境破壊に警告を出した。女子は「農薬使用絶対反対」と言っておらず、「適切な量を適切な使用を!」と言っているが、強欲な農薬製造会社はネガティブキャンペーンを展開した。トランプ氏の言動に類似している。女史の窮地を救ったのはケネディ大統領で特別調査委員会を立ち上げて科学的な検証を行った結果に基づき、女史に軍配を上げた。
地球温暖化問題について米国公聴会で意見を述べたが、フレッド・シンガーの邪魔によって対策実行が遅れた。
温暖化対策の必要性を訴える政治家の中にメルケル(首相になる前の)氏の映像もあった。

CO2削減対策とフロン削減対策の違いとは?

ともに地球規模の環境破壊に関する問題であるがフロン削減がオゾンホールが見つかり、拡大していることが明らかになるとフロン全廃に動き出した。
一方、大気中のCO2濃度が上昇し、濃度の上昇と大気温度の上昇に相関性があると判明しても、地球温暖化懐疑論が復活して進展が鈍いのは何故か?
フロンの使用先が限られていたので対策がとりやすいためのようです。開発途上国に削減を迫る必要がなく、CO2は開発途上国にも削減を迫る必要があるためか?? 京都議定書の場合、削減義務は先進国の実であったことからも分かります。パリ協定では全世界の国が一致協力しないとかけがえのない地球に住めなくなると言う説得が効いたようです。

地球温暖化対策の難しさとは

私は「カーボンニュートラル社会の姿は江戸後期から明治初期の我が国の姿である」と周囲の人に訴える。帰ってくる言葉は「そんなみじめな生活に戻りたくない」と言う言葉です。
確かに私もそんな生活は嫌だが、目指す理想像を描き、そこへ向かって行くのがホモサピエンスだと私は考えています。一度手にした便利で楽しい生活を手放すには勇気がいります。しかし原油の価格や輸入量の制限にびくびくし、為替レートの上下に脅える生活におさらばしたいからです。




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