米国の高官のこだわりがベトナムで大失敗を招いた!!

昨晩は米国国務省の元長官のR・マクナマラ氏の光と陰について報道された。

光の面
光は大戦中に行った被害最小、効果絶大なB29による日本本土の無差別・絨毯爆撃です。日本軍の高射砲の射程より高い高度を維持しつつ、焼夷弾を正確に落下させる作戦を数理計画で策定したことです。加えて一旦発火すると消火できない焼夷弾を雨あられのようにばら撒かれた日本国民の恐怖、痛み、精神的苦痛をベトナム国民にも味合わせた冷酷非情な人物です。
戦後、業績が悪化していたフォード社に入社し、小型(日本では大型に相当)車を開発・販売する戦略を立ててフォード社の業績を急回復させた。創業者でもないマクナマラ氏はフォード2世の推薦で社長になった。ケネディ大統領が初当選後、マクナマラ氏に国防省の長官就任を要請した。劉備玄徳が諸葛亮孔明を三顧の礼を尽くして軍師になって貰ったのと同じです。

陰の面

社長就任間もなく、ケネディ大統領から国務長官就任を要請され、迷った挙句要請を受諾した。ここでも数理計画で軍事費VS経費を徹底的に分析して国防費の大幅削減を成し遂げたところまでは順風満帆でした。朝鮮半島動乱以降、中華人民共和国やソ連の勢いが高まり、ベトナムで苦戦していたフランスが撤退した。そこで俗『赤化ドミノ倒し』におびえたケネディ大統領が南ベトナム支援をマクナマラ氏に指示する。太平洋戦争や戦後のフォード社立て直しの成功体験にひずられて南ベトナムへの軍事介入を始めた。最初の一撃が肝心と1万人を超える軍事顧問団を派遣し、早期決着を図った。効果を定量化することを重視するマクナマラ氏の指示で殺害したベトナム兵の数と死亡した米国兵の数の比較で作戦の良否を判定した。後年、国務省の機密資料のすっぱ抜きでベトナム兵の死亡数に改ざんがあった。在任中、議会等の追及で「ベトナム派兵は失敗ではないか?」と追及されると、「それは歴史家の評価を待つしかない」と開き直った。この文言は日本の総理がよく口にするフレーズですが。

ベトナムでの成果があやしくなったので、ベトナムからの撤退をケネディに納得させて、発表する寸前にケネディがダラスで暗殺された。後任のジョンソンは「戦争に負けた大統領にはなりたくない」と戦争継続をマクナマラ氏に指示、氏はナチスの高官のように官僚的判断をしてしまった。これが陰の始まりです。その後、何度となくジョンソンや議会に撤退を打診するも反対された。国務省の部下だった人にこの戦争についての評価を求めるも撤退を決断できず。ずるずるとベトナム戦争に決別できず、徴兵忌諱や脱走兵の増加、内部告発で「ベトナム戦争反対」の嵐が巻き起こり、マクナマラ氏は国防長官を辞任する。辞任の会見で声を詰まらせてコメントが発声できなかった。
後年、ベトナム独立戦争を指揮したドク軍事顧問に「あのような悲惨な戦争を止めようと思わなかったのか?」と問うている。ドク氏は「まだ100年でも続けるつもりだった。自由と独立は何者にも代えられない」と答えた。
考えて見れば、合衆国建設は欧州での悲惨な生活苦を逃れて、自由で独立した国を作ると言う理想に燃えていたはずです。
ドク氏の「自由で独立」の意味を理解出来なかったのは皮肉ですね。
米国にベトナム介入を止めさせるきっかけの一つに国防省のの元職員が7000ページもの機密文書をリークしたことがあります。そこには数字に強いマクナマラ氏が数字のマジックに翻弄されていることが見え隠れしていた。
我が国は重要会議の議事録もなし、あったとしても90%以上も黒塗りをするので「依らしむべし、知らしむべからず」です。


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