権限を難に使うべきか?

これは地方紙の社説の見出しで「子供政策対話」で小学生から岸田総理が「総理大臣になろうと思った理由は?」と問われた時に総理は「大きな力(権限)が得られ、やりたいことが出来るから」と答えたことへの皮肉のようです。岸田総理は「民主主義の危機」「新しい資本主義」「令和版所得倍増」の3本柱を政権運営の柱としました。安倍元総理の3本の柱になぞらえたようです。しかし、その柱の意味を国会議員や国民に理解してもらう努力もせずに国会での衆議もせず、所得倍増は官製春闘にすり替え、カーボンニュートラルと言うより産業界救済の「原発回帰」、軍備拡大のための金集めに形を変えてしまった。総理大臣の権限は衆議院で過半数の議席を獲得した政党の長(総裁?)が務めることで行使できる国民からの委託事項です。
マスコミも原理原則を忘れて、与党の旗色が悪くなると「早く衆議院を解散せよ! 何時ですか?」と憲法違反を勧めるようです。
また、勢力を伸ばしつつある日本維新の会にいい顔をしようと言う焦りから自公の選挙協力にひびが入りかけているのは政教分離での貸し借りではないだろうか? 投票支援の見返りとして国土交通大臣の椅子を公明党の指定席にしているがその職責を果たしていないのが明らかです。産業界はモビリティ社会の実現に向けて血の滲むような研究開発をしているが公明党は社会保障に充実に血道を上げるだけです。
権限と言えば司法の最高機関である最高裁が指示した耳目を集めた事件に関する関係書類の永久保存が無視されて、多くの書類が破棄されてしまった。指示をしただけで実施状況を監察していない最高裁も間抜けな組織なら、法の定めに基づいて公正な裁きを行う高裁、地裁がルール無視をしているようでは国民から負託されている権限を召し上げられても仕方がないでしょう。
どうも敗戦のどさくさに紛れてGHQからのお恵みであった日本国憲法は水戸黄門の三つ葉葵の印籠なのでしょうか? 水戸黄門と言い、遠山金四郎の桜の刺青と言い、ルール無視の勧善懲悪劇で1億2千万人を納得させることがでできるのだろうか?
日本維新の会が関西(特に大阪府)で力を発揮しているのは良くも悪くも橋下氏の剛腕が府民の脳に焼き付いているからでしょう。東京都の小池知事と厳しく対峙し、維新の会の力を見せつけて惰眠の貪る都民を覚醒させれば、地域政党から政権を担える政党に変身できると思います。河村名古屋市長も大村愛知県知事と愛知と言うコップの中で暴れているだけでは全国区にはなれません。
トヨタが水素社会を社会実装に奮闘しているが愛知県の職員が足を引っ張っていることを大村知事はご存じないようです。ウーブンシティを静岡県裾野市に持って行かれたのが良い証拠です。愛知県職員は今のままで十分だと内向き志向になっており、知事がその考えを改めさせる権限を行使していない。愛知の環境と健康を考える一斉行動の場で実感できました。


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