中国の女性たちの明と暗について?

昨晩のNHKバタフライエフェクトでごく一部ですが、中国の女性が引き起こした明と暗についてのレポートでした。
最初は正規の大悪女と言われている西大妃は海外から新しい知識や技術を導入した人物です。精華大学の開学、数千キロに及ぶ鉄道の新設を成し遂げました。また身近な女性たちの地位向上にも力を注いだようです。

宋家三姉妹と中国政界の関係は

中国の政財界を牛耳った宋家には靄齢、慶齢、美齢と言う三姉妹がいて、新滅亡から中華人民共和国建国まで中国に大きな影響を与えた。長女は孫文博士の秘書を務めたり、トルーマン大統領やチャーチル等と親交があった。中華人民共和国建国後も中国政府から厚遇され続けた。

王光美(劉少奇夫人)と江青(毛沢東夫人)の確執が文革の火種に


江青は中国共産党の聖地である延安に毛沢東が身を潜めている時、妻賀子玲と離婚してめとった女でした。その時の共産党幹部から突き付けられた条件は①毛沢東夫人と呼称しない、②政治の緒も表舞台に立たないでした。文化大革命を始める時、両方の条件を江青は破った。毛沢東は自身が始めた大躍進計画は数千万人の人民の命を失ったので、責任を取らされ国家主席の地位をはく奪された。後任となった劉少奇が外国訪問する際、多数の言語を操れる王光美夫人を伴った。米国はファーストレディ外交も重視しており、開かれた国家だと言う評価が高まった。江青はその活躍ぶりに嫉妬して、文化大革命を扇動し、劉少奇や鄧小平や周恩来等と共に王光美も失脚させた。めんどりが騒ぎ立てたのです。

紅衛兵のヒロイン(宋彬彬)の暗転

江青はボケた毛沢東を押しのけ、四人組であらゆることを決め、実践した。若者の注目を浴びるために高校生であり、ばりばりの紅衛兵であった宋彬


彬をジャンヌダルクのように利用した。幼い彼女は恩師などを断罪し、丸太で殴り、死に至らしめた。後年、その罪に気付いて謝罪した。

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