鉄のカーテン、のちに竹のカーテンへ

米英仏VSソ連+東欧の冷戦構造に時代には両陣営間の間に横たわる情報統制をかの有名なチャーチルが「鉄のカーテン」と名付けた。
1049年に建国した中華人民共和国は米英仏の注目を浴びていなかったが、毛沢東らは海外との接点を求めていた、その網にかかったのがエドガー・スノー(米国ジャーナリスト)だった。先入観なしで中国に入り込み、毛沢東が潜んでいた延安で周恩来に認められ、中国各地を回り得られた情報を「中国の赤い星」にまとめて出版した。建国後の中国の情報に飢えていた米英仏の高官は貪るように読んだようです。エドガー・スノーも中国高官の厚遇に答えるように様々な書籍を刊行した。中国も力をつけて来るごとに情報統制に重要さや都合の悪いことを隠したくなって、エドガー・スノーも袖にされた。特に大躍進政策(一説には数千万の人民が死亡した失政)の失敗を隠し通す、次に政権争いであった文化革命の実態を隠すようになった。決定打は若者の民主化・自由化要求が激しくなると情報統制(竹のカーテン)を始めたことです。

わが国はテッシュペーパーのカーテンか?

外交・軍事に詳しい政治家は何かにつけて情報漏えいの大国と我が国を揶揄するが竹のカーテンが何時まで使えるのか見ものですね。
維新の会の鈴木宗男議員が外務省辺りの忠告を無視してロシアを訪問するようですね。維新の会もさじを投げているようです。美味しいウオッカでの飲んでくれば気が済むでしょう。
世界の平和も我が国の安寧も無視し続けるのは鈴木宗男ではなく、岸田正雄や山口那津男でしょう。



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