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明日、なにするかが大切だった

わが家の毎日はやることが多い。
だからよい。
朝起きれば、メダカたちの様子をみながら、エサを与える。
メダカたちのエサやりが済めば、マギ―の散歩だ。

朝食が終われば、お風呂の掃除、さらに家の中の掃除、私たち夫婦の散歩と続く。
決してやらされているのではない。
体を動かすことが好きなだけだ。
そして仕事に向かう。
これが基本パターンだ。

これに芝刈り、庭木の剪定、メダカの水替え、バラなどの手入れ、雑草取り、洗車、読書、note、田んぼの散策などを必要なタイミングで行う。
毎日、次の日にやることを考えながら生きてきた。
これが、本当に楽しい。
田舎生活と戸建てに住むと、やることの宝庫だ。
私は、これが大好きなのだ。
動くことでは言えば、私は、いまでも子供時代のままに「注意欠陥多動性症候群」だろう。

一昨日、家の掃除の終わりに、腰に電気が走った。
ピリッとしたと思ったら、腰が痛くて動けなくなった。
久しぶりに二日ほどじっと横になって過ごした。
整形外科にも信頼する先生がいるが、あいにく二日間不在だったので、今日予約を入れている。
今までにない痛みなのでしっかりと診てもらうことになるだろう。

私は、動くことで生きていることを感じるタイプだ。
とにかくじっとしておれない。
昨日、芝刈りをする予定だったから、芝のことが心配になったりする。
2019年に脊柱管狭窄症で神経根ブロック注射をしたが、先生からどんどん動いてよいと言われていたので、喜んで動いていた。
今回の症状は、明らかに脊柱管狭窄症とは違う。
脊柱管狭窄症は腰を少しかがめば、歩いたり作業することができる。
かがんだ姿勢で庭木の強剪定などをやっていた。
背中を反らしたり、直立歩行時などには、これまで経験したことがない強烈な痛みがでる。
動くことができれば、私は、なにかをやっている。
じっと寝てなどいられない。
だが、今回の症状は、動けなかったから、癖にならないようにする必要がありそうだ。

先生と相談しながら自らの行動をセーブすることになるのだろうか。
誰にとっても人生の最後は老いとの闘いなのだろう。
妻やマギー、さらに多くの生き物たちや植物たちも迷惑をかけることになる。
少し意識しなければならい。
いつまでも頭の中の小学生時代から卒業しなければならない。
小学生時代のように動いていたい。
寂しさが残る。。。
老いとは、体を自覚することなのだろう。

痛みがなくなってくるとすぐに動き出す。
やっかいな人間だ。
本当にあれやこれやすることが好きなのだ。
昨日、芝刈りをする予定だったので芝生が気になる、といったら妻はあきれていたが。。。
先ずは、病院へいってくることにしよう。
動くのは、それからだ。

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