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砂遊びが好きでたまりません...

私は、どういうわけか砂遊びが大好きです。
いつから砂遊びが好きになったかを考えてみると、おそらく小学生の低学年のときでしょう。
ある日、学校から帰ってくると、家の庭先に、山になるほどの砂が無造作に置かれていました。
たぶん父が仕事で使うものを、一旦、庭先に仮置きしていたと思われます。

その砂をみつけた私は、来る日も、来る日も、砂遊びにはまりました。
今でもその光景が脳裏に浮かんできますから、よほど強烈なインパクトがあったのでしょう。
つくっては壊し、またすぐにつくる、という繰り返しです。
砂がたくさん積んでありましたから、トンネルをつくれば、そのスケールが違います。
お城も、大きなものつくったと記憶します。
こんなに楽しい遊びはないと、私は感じてしまったようです。
なにかをつくることの喜びでしょうか。
砂の感触は、今も手の平に息づいています。

だからでしょうか、子供が生まれて外へ連れ出すときは、きまって砂場を選んでいました。
そこは、子供が遊ぶのではなく、子供と遊んでいるようで、私自身が夢中になる世界でした。
まわりのおかあさんたちからみれば、子供にやさしい父親にみえたことでしょう。
事実は、まったく違うのです。
3時間ほどはあっという間でしょうか。
妻から何してたのと、聞かれるので、砂遊びをしていたと言えば、こんな時間まで、とあきれられていましたが。。。

子供が小学校へ入学すれば、海に行こうと誘って、子供たちに砂遊びの道具をかってあげ、妻がつくったお弁当をもって九十九里の海へ何度いったことでしょう。
海の砂は無限であり、使いきれないくらいあるのです。
私の心は躍るばかりでした。
子供たちも、最初は楽しそうにしていますが、さすがに回数を重ねてくるとあきられてしまいました。

私は、それ以来、好きな砂遊びの代わりに、庭の土いじりをやっているようなものでしょうか。
孫ができれば、また孫をだしにして海へつれていくでしょう。
自分の遊びのために。。。
どうしようもない父親であり、妻や子供たちには、自然を身近に感じられることをしてあげただけ、とウソぶいています。

今でも砂遊びした道具が、庭先の保管庫の中にありますが、それをみるだけでわくわくしてしまいます。
同時に、遠い昔を思い出し、子供たちと海辺で遊んだ光景が、昨日のように頭をよぎります。
大人になっても、子供心というものはいつまでも残っているものなのです。
私は、とくに昔の情景が残っているようで、今の生活とまわりの環境が似ており、そのような思い出が、さらに身近に感じてしまうのかもわかりません。

それにしても楽しいのです。
砂遊びは。。。

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