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なぜか、出来たばかりの会社へ大賀さんがやってきた

私が、ソニー子会社で仕事をしていたとき、社長から今度大賀さん(当時のソニー社長)がくるからな、と言われました。
特機(業務用機器)のサービスセンターを開設することになっていましたが、出来たばかりでそれほど知名度がある子会社でもなく、わざわざ大賀さんがくるほどのことでもないだろ、と私は思っていました。
上司や先輩も同様に考えていたようです。

大賀さんとわが社長は、サービスセンターの開所式でテープカットをするとのこと、私はその準備を命じられ進めていました。
当日は、写真でしかみたことがない、さらに会ったこともないソニー本社の役員たちが、そろってこられましたから、さらにびっくりだったでしょうか。
私は、大賀さんが乗車してきた社有車を駐車場へ誘導しており、テープカット自体はみていませんでした。

そんな私の裏方仕事をみていたのでしょう。
当時のソニー専務から直接声をかけられました。
「ご苦労さま、ありがとう」という言葉だけでしたが、私にはあんなエライ人が私の姿をみてくれていたのだ、と感動したことを思い出します。

それにしても、子会社のなかで約1200番目にできた会社へ、どうして大賀さんがきたのか、とそれからずっと不思議に思っていました。
なにか変だ。。。
私の感性は、私に訴えてくるのです。

しばらくしたある時、この社長と飲んでいるときに、この疑問を直接聞いてみると、社長は平気でこういうのでした。
「大賀さんの秘書は、元俺の部下だ。秘書に大賀さんの空いているスケジュールを確認し、空いている日にこの会社の開所式のスケジュールをいれさせた」というのです。
「大賀さん怒るでしょう。勝手にスケジュールなど入れると」と聞き返せば、問題ないと言います。
この社長の頭はどうなってるのだろう、と心底驚きました。

さらに話を聞いてみると「東京通信工業」時代からいる社員は、治外法権があるらしいこと(当時のソニーも大企業なのだが、他の大企業にいる人には理解できないと思われるが)、しかも私がいた子会社の社長は、大賀さんがソニーへ入社された時代の勤労部の担当者であり、大賀さんより先輩でした。
簡単に言えば、東京通信工業時代のポジションでレバレッジを効かせてスケジュールをいれさせたといことです。
大賀さんも「あいつのところへはいっておかなくては」ということのようでした。
社長もちゃっかり大賀さんと写真に納まり、ソニータイムズへ掲載され、おちゃめに誇示していました。
遊び心満載で。。。

当時、ソニーは約2兆円規模の会社でしたが、恐ろしいくらい中小企業的だったのです。
私はおもしろく話を聞いていましたが、それくらい東京通信工業時代の苦労というものはソニー全社で共有されていた証でしょう。
この社長の勤労部時代の部下たちは、井深さんや盛田さんなどの秘書をやっておられたようで、会社を引いてからも長く旧交を温めていたようです。
時代といえば、それまでですが、世界的な企業になった企業でも、創業から多くの苦労を重ねていた時代があったのでしょう。
そんなことを知るきっかけになりました。

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