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猫の履歴書(1)出生から中学校まで

はじめに

noteはメイドさんが記事を投稿していたので登録することにした。
別の場所に持っているブログは年単位で更新を止めているのだけれど、このアカウントをフォローしてくださる奇特な方がおられたので、一本くらいは記事を書こうかなと思った。

タイトルは日経新聞の連載「私の履歴書」のもじりである。
「私の履歴書」は各界の著名人が自分の半生を綴る名物コーナー。著名人が黒歴史を開陳していたりして面白いので読んでね。
一方、私は著名人のような波乱万丈豪華絢爛な猫生を送っているわけでもないのだが、いい機会なので、公開できる程度に、経歴を書き置くことにする。

※追記:書いているうちにクソ長くなったので分割することにした。

1.生まれてすぐに死にかけた

私が生まれたのは東京都北部にある大学病院だった。生まれてすぐに死にかけた。いわゆる超未熟児で体重が足りなかったのだ(現在は超低体重出生児というらしい)。目が悪いのはこの後遺症である。

2.記憶の端緒と趣味の源流

私の最も古い記憶はベビーベッドの上で母親がミルクをくれなかった記憶だ。食べ物の恨みは深い。
物心ついてからの記憶は幼稚園に入る少し前からスタートする。ディズニーランド、近所の公園、祖母にはよく羽田空港に連れて行ってもらった。
空港から帰るとお茶の間のテレビで石丸電気やサトームセンのCMが流れていた。万世橋にあった交通博物館には何度も訪れていたが、東京の地理を把握していなかったし、秋葉原という地名を認識するのは中学生になってからだ。十数年後から、足繁く通うことになるのだけれど。

私が持っていた絵本の中に「きょうはなんのひ?」という絵本があった。幼稚園の頃、この絵本の主人公(まみこちゃん)にガチ恋だった。
三編み好きと制服好きは間違いなく、この絵本と幼稚園の制服(絵本に出てくる、まみこの服装と同じ吊りスカートだった)に端を発している。
今につながる趣味の源流は、この頃に出揃っていたといえるかもしれない。

3.小学校でパソコンに触れ、中学校で同人誌をつくる

小学校は平々凡々としていたが、ちょうどゼロ年代、政府の旗振りにのって情報教育の恩恵にあずかり、家庭で真っ先にパソコンを使いこなすようになった。一般に評判の悪い「ゆとり教育」の象徴である「総合学習の時間」は私の好きな科目で、調べ物をする楽しさを知った私は、以後図書館と古本屋に入り浸ることになる。

中学校に入学してから、変わった部活に入った。同人誌を作る部活である。文芸部でも漫研でもない。部員は内容を問わず自分が寄稿する作品を完成させ、部誌を制作することがその部活の唯一の目標だった。私は小説を書いていた。
作品が完成すると手作業で割付たマスターを作成し、学校の印刷機を使って印刷する。印刷ができたら裁断し、手作業で数百部製本するのである。
このときに使った本文用紙は古紙だった。古紙は裏写りがしにくいため、雑誌の本文用紙には適した紙だが、とにかく高価である。私の通っていた学校は公立で、部費は特に徴収していなかったので、原資はすべて税金だった。一度印刷をしくじって真っ青になったことを覚えている(めちゃくちゃ怒られた)。

顧問の先生も先輩達も筋金入りのオタクで、盆暮れはコミケに参戦する猛者だった。ここで初めて同人誌即売会の存在を知ることになる。部員は女子生徒が多く、中にはコミケでコスプレをしている人もいた。
当時はちょうど「電車男」ブームの真っ只中で、メイド喫茶の存在をドラマで知った。まさか自分が通うことになるとは夢にも思わなかった。
顧問の先生に突然生徒指導室に呼ばれて、「電車男」OPの元ネタであるDAICON IVのOP映像を観せられたり、エヴァンゲリオンの録画をダビングしたVHSをもらったり、涼宮ハルヒの憂鬱に高校生活へのあこがれを抱いたりしているうちに、義務教育が終わっていた。

つづく。