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日露戦争を勝利に導いたユダヤ人投資家とは?

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では、ここから本題です。

ジェイコブ・シフという人物をご存じでしょうか?

シフは、1947年にドイツで生まれ、その後米国に移住したユダヤ系アメリカ人です。

米国のクーン・ロープ商会という投資銀行の頭取を務めた男でもあります。

そして彼こそが、日露戦争時に敗戦濃厚といわれた日本の巨額の外債発行(戦費調達を目的としたもの)を成功に導き、日本の勝利に大きく貢献した男なのです。

<日露戦争とは?>



1904年-1905年に行われた日本とロシアの戦争です。

戦前、不凍港を求めていたロシアは南下政策を推し進めていました。

そして中国および朝鮮にまで影響力を及ぼそうとしていたのです。

仮に日本の目と鼻の先である朝鮮までロシアの支配下になってしまえば、ゆくゆくは日本までロシアに占領されてしまいます。

そう脅威を感じていた日本は、安全保障の観点から朝鮮半島を自国の勢力下におきたいという意向が働きました。

そして、日本による朝鮮の支配をロシア側に主張したのです。

これに対し、当時既に超大国であったロシアはアジアの小国である日本の主張を聞き入れるわけがありません。

これにより両国が対立し1904年2月に戦争が勃発したのです。

<巨額の戦費と外貨調達>



日本としては、戦争遂行には武器を中心とした膨大な物資の輸入が不可欠でした。

戦争期間を通じて組まれた軍事関連予算の総額は19億8612万円とされました。

これは当時の約9年分の国家予算にあたる額です。

そして、驚くべきことに日本はこの戦費調達にめどをつけずに開戦に踏み切ったのです。

物資輸入のためには当然外貨が必要です。

開戦当初、当時の日本銀行副総裁高橋是清は1,000万ポンドの外債発行を命じられて急いで米国と英国を訪問しました。

ところが開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており(日本が敗北するという国際世論の表れ)、1,000万ポンドの外債発行もまったく引き受け手が現れない状況でした。

高橋是清は1904年3月に米国を訪問するも全く相手にされず、4月にはイギリスを訪れました。

但し、イギリスでもまったく相手にされず、日本の外債発行はほぼ絶望的な状況にまで追い込まれました。

ただ高橋是清はここであきらめず、公債発行条件をかなり譲歩しました。

イギリスの銀行家たちと1か月以上交渉の末、ようやく香港上海銀行からロンドンでの500万ポンド(当初計画の半分)の外債発行の仮契約にこぎつけたのです。

当初計画していた額の半額とはいえ仮契約調印を祝い、現地関係者が高橋のために晩餐会を催してくれました。

そして、この晩餐会に出席していたのが、ジェイコブ・シフでした。

シフは高橋の隣に座り、食事中、日本経済の現状、生産の状態、開戦後の人心などにつき細かく熱心に質問したそうです。

高橋もできるだけ丁寧に回答し、その際、実はまだ追加で500万ポンドの外債を調達する必要があることを開陳しました。

その日は特に何もなかったものの、翌日、シフが残りの500万ポンドを自分が引き受けてアメリカで発行したいと提案し、一気に話がまとまったのです。

その後も日本は、日露戦争の戦費関連で5度外債を発行し、発行総額は1億3000万ポンドにのぼりました。

シフが最初に外債を引き受けたことと、その後の外債発行もシフが自身の人脈を駆使して日本の外債引き受けを他行にも呼びかけ、日本は巨額の外貨を調達することに成功したのです。

<シフの意向>


シフは、当時敗戦濃厚で債権の返済リスクが非常に高かった日本国債をなぜ引き受けたのでしょうか?

そこには、日本国債は比較的金利が高かった(実質金利は6%台後半)という経済的な理由の他に、政治的な理由もあったとされています。

アメリカのユダヤ系経済人のリーダーであるったシフは、ユダヤ人迫害“ポグロム(ユダヤ人大虐殺)”を行っていた帝政ロシアに露骨に敵意を示していました。

日露戦争で仮に帝政ロシアが敗北すれば、体制変革をもたらすか、悪くても、国内政治の改革が行われ、ユダヤ人迫害政策が改められるきっかけになると考えたのです。

シフは「日本を助けるため、銀行家としての一線を越えた」とも評される支援に力を入れたのです。

更に、シフは日本外債を引受けたばかりでなく、ロシアの戦争資金調達の妨害にも動いたのです。

ヨーロッパの銀行家にも資金面での対露非協力を呼びかけ、ユダヤ系の巨大銀行家であるロンドンのロスチャイルド家もシフに同調しました。

日露戦争における日本の勝利は、当然資金面だけで決まったものではありません。

しかし、外貨を調達できず最新の武器や兵器などを輸入できていなかったら、確実に勝利できていなかったといえるでしょう。

ジェイコブ・シフは戦後に明治天皇から勲一等旭日大綬章を贈られています。

これを見ても、当時の日本がいかにシフに感謝しているかが読み取れます。

STOP

・ジェイコブ・シフの行動は、一個人の意図で資本を使って世の中を大きく動かした典型的な例といえるでしょう。

・終生、ユダヤ人差別と闘ったシフは、啓蒙活動だけでなく、資金を駆使してユダヤ人の権利保護に多大な影響力を与えたのです。

・シフのストーリーをみて、やはり資本主義の世の中、資本を通して世の中に働きかけることで、大きなインパクトが与えられることを痛感しました。自分自身も資本を通じた社会貢献にわずかながらでも寄与したいと思えました。

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りろんかぶお

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