利己的




人の為に尽くすなんて存在しない
この人の為、あの人の為、貴方の為。

XXの為に、"自分"が。




結局それは自分に対して尽くしていると思うの。
自分のエゴ。

相手に尽くしてあげたいって言う自分のエゴ。

信じるって言葉もそう

信じて


信じたい


信じる


ーーーーーーーー


信じて、何もしていないから。


ーーーーーーーー


信じたい、理解してあげたい。


ーーーーーーーー


信じる、信用してるから。


ーーーーーーーー


これも結局"あなた"のエゴ。




ーーーーーーーー

信じていたもの(人)に裏切られた時、
人は裏切られたとか、信じていたのにと
そう言って自分自身に守りをかける

けれど、それは結局
その人の見える部分を信じていただけであって、
見えない部分が見えてしまった事で、信じていた部分と違った異なる部分が見えてしまった事で、
裏切られた、と感じるのでは無いのか。

結局、信じるといった"その人"の全てが見えてなかっただけ。


見えなかった部分が見えてしまった時に、
その部分も信じてあげることが出来る、
見えなかった部分が見えてしまった時に
見ても揺るがない"自分"で居ることが出来る、
それが【信じる】って言うことではないのかな、

ーーーーーーーーーーーーーーー•••

と、私は思っています。

もちろん、考え方も捉え方も人それぞれなので
この考え方は違う!もあり。
こうじゃない?ああじゃない?って思うのもあり。
結局、人それぞれなのでね。

けれど私はこう思ってます。
と言うか、こう思うきっかけがあった。

これが正解では100%無いし、
むしろ共感は1000人に1人位いたら嬉しいな、位の感じ。



人は結構、
信じるって言葉を意外にも使いがちだけれども
【信じる】って言葉は時によっては意外と
重みがあるものだとも感じてる。


それこそ1番に思い浮かぶ例えって恋愛だと思うんだよね。
絶対自分のパートナーは浮気しない、
けど実際に浮気してしまったら

『信じてたのに』


そうなる。




信じる も、信じて も、信じたい も

勝手に想うだけの、本当に自分のエゴ、利己だなと。



それでも信じたいと思う時もあるし、
信じて欲しいとも思うときは少なからずあるけれど
必ず心に留めておかないといかないのは

見えなかった部分が見えても、
それを含めて信じられるように、

信じてもらえるように。

とはいっても、浮気されても信じ続けられるのは
凄いとも思うけれども。

難しい。


自分のエゴを押し付けない様に、
それが1番難しい。


2021.12.1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?