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ろう者が活躍できる社会を目指して サイレントボイス 尾中友哉さんインタビュー vol.1

NPO法人福祉のまちづくり実践機構ではホームレスや障がい者、ひとり親家庭など職につくことが難しい人たちを就労につなげるしくみづくりとして、「行政の福祉化」の発展につながる調査研究に取り組んでいます。このnoteでは、「行政の福祉化」に関わるさまざまな情報をお届けしていきます。
近年、ソーシャルファームやNPOにおいて、社会的インパクト(アウトカムともいう。事業や組織が最終的に目指す変化・効果)を出す道筋を示すためのロジックモデルをつくることが求められています。

大阪で活動しているサイレントボイスさんはロジックモデルをつくったことで、大きな助成金を取ることができたり、事業の方向性をより具体的に決めることができたそうです。
ロジックモデルをつくることにどんな意義があったか、そこからどんな意義が見えてきたかを、株式会社サイレントボイス・NPO法人サイレントボイス代表の尾中友哉さんにお伺いしました。

3回に分けてお届けする一回目は、コーダ(耳が聞こえない、あるいは聞こえにくい親をもつ聴者の子どものこと)として耳の聞こえないご両親のもとで育った原体験についてです。

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株式会社サイレントボイス・NPO法人サイレントボイス

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聴者(聞こえる人)と聴覚障がい者の働きやすい職場を作り出すことを目指し、法人向けの研修制度を行うために2014年に設立。
近年ではNPO法人を設立し、聴覚障がいのある子ども向けに教育を行うデフアカデミーを運営。営利と非営利の両面から、聴覚障がい者が活躍できる社会を目指しています。

尾中さんの原体験

僕の父は今60歳ですが、父の子どもの頃は聞こえない子は手話を使ってはいけない、声を出して発音できるようにならなければいけない、という口話教育を受けていました。しかし、父は小中高ほとんどの授業で何を言っているのかわからなかったそうです。
卒業して大手メーカーの工場に就職します。そこで大学生の期間工に、名前を呼んでも振り向けないため、ねじを投げて呼ばれるような経験をしてきました。今、サイレントボイスで働いてくれているデフ(聴覚障害のある人)の宮田翔実という社員がいます。宮田君は証券会社に勤めていたのですが、父と30年の開きがあるのに、同じような経験をしていたと聞いて驚いたんです。


一方、生活では、パソコンやインターネットやスマホの登場によって、できなかったことができるようになってきています。例えばうちの両親は以前は出前を取れなかったのですが、UberEatsの登場によって取れるようになりました。ほかにもあげたらきりがないくらい、変化がありました。ITは聞こえない人の生活を激変させ、できないことを減らし、できることをすごく増やしたのに、教育も働くことも30年前と変わりばえしない。そのことに対して僕は痛烈に疑問を感じていました。

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ろう者だからできることを事業の柱に 

僕の両親は聴者(聞こえる人)と同じようにすべてのことができるわけではありませんが、違う角度から見たら活躍できる可能性があるのではという出来事がありました。

僕の母は喫茶店を始めたのですが、母が言うには、「私は『空調が寒い』と言われても聞こえないから、自分で観察して気づいて行動できるように、そこだけ集中してやってます」ということなんです。言われてやったら気遣いにならないけど、観察して気づいて行動したら気遣いになるじゃないですか。これって接客の基本だと感じました。
聞こえない母にとっては自然と観察から得る情報が多くなり、人の行動を読む能力が非常に高いと感じました。そこで、同じ特性を持つろう者を講師にした、接客業向けのコミュニケーション研修を始めます。

聞こえない人のコミュニケーション能力を活用したコミュニケーション研修をドコモの販売店さんが取り入れてくださったことで、メディアに一気に掲載されました。一方、会社では聞こえる人と聞こえない人の雇用を半分半分で進めていこうと考えていたのですが、会社が成長していく中で働きづらさを抱えるようになりました。
僕が電話で研修の仕事を受けても、声で話しているだけでは聞こえるメンバーと聞こえないメンバーで得られる情報のギャップが起こってしまいます。聞こえる人と聞こえない人がどうやったら効率的に働けるのかを、自分たち自身が考えていかないと会社が潰れてしまうという状況に陥ったんです。

その時に、課題に出会えば出会うほど解決策にもたくさん出会えるんじゃないかと思い、僕たちは聞こえる人と聞こえない人の範囲ですが、ユニバーサルデザインのようなことを考えて実践していきます。

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デフアカデミーの設立へ 

そうしているうちに大手自動車メーカーをはじめ、聞こえない人を雇用しているさまざまな企業でそのノウハウを展開していくようになりました。やがて、全国で働いている聞こえない人、聞こえにくい人と接するようになりました。
そこで知ったことは、聞こえない子に家庭や学校の中で孤立状態が起きているということでした。その学齢期の孤立をなくすためにデフアカデミーを作りました。NPO法人として立ち上げたのは、寄付を受けられたり、公的なお金が流れやすいようにしようと考えたためです。やはり、聞こえない子の親御さんが聞こえるお子さんと比べて塾代が高くかかるのは不公平だと思いました。

 現在全国に1万4000箇所くらい放課後デイがあるなかで、聞こえない子向けは10数箇所ぐらいなんです。最初は大阪で始めて、ほかの地域でもやろうとしましたが、1000人に1人といわれる聞こえない子向けの教室の立地条件は非常に厳しく、オンライン授業という形式の展開を考え始めました。
そうこうしているうちにコロナ禍に突入しました。

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尾中さんの熱の籠ったお話しぶりにすっかり魅了されてしまいました。
次回はコロナ禍で寄付を集めるのに役立ったロジックモデルがいかにしてつくられたかについてお話を聞いていきます。

合わせて、第2回目3回目の記事もごらんください。


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