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これでいいのか?地域若者サポート・ステーション」(ほぼ朝)

8050問題は、若者支援の政治的プライオリティーを上げてこなかった政治的失敗の結果、つまり政策的失敗だとぼくは思っています。そして、地域若者サポートステーション(以下サポステ)が、数年前に総合入札制度に切り替わったとき、厚生労働省は、また若者支援のプライオリティーを下げたな、と感じ、これはサポステは終わるな、と思っていたら、どうやら本当に終わりそうです。ここでいう「終わる」は、いわゆるオワコン的な意味です。

以下、頑張っていらっしゃる実施団体も、現場の皆さんもいらっしゃるので、書きにくい部分もあるのですが、若者たちの未来のために、書き進めさせていただきます。尚、この文章は、大手企業がサポステに大きく参入し、総合入札で複数NPO等が負けたことを受け、ぼくの個人フェイスブックに書いたものです。非常に反響が大きかったので、加筆修正し、こちらでも公開させていただきます。

実施者の方々には大変失礼な言い方になってしまいますが、若者支援に取り組むNPOの代表として、現在のサポステは、まるで参入する魅力のない事業になってしまったなと思っています。これは成果目標が定められ、ランキングができてしまったあたりから、感じていたことです。ちなみにぼくは足立サポステの立ち上げ、つまりサポステ開始当時から関わり、途中ワーキンググループにも参加していました。

実際、何人ものサポステ実施団体の代表から、「やめたい」という言葉を聞いています。その言葉の続きは、「こんなことするために法人を立ち上げたわけではない」です。つまり、厚労省が毎年示してくる仕様と、法人のミッションがどんどんズレて、ミッション・ドリフトが起きていたということです。

毎年、仕様が変わるというのは、推測になりますが、厚労省が財務省と予算を掛け合う際に、注文をつけられ、それに屈する形で変わっていくんだろうと想像します。また、厚労省管轄のハローワークが、よくわかっていない方からすると類似事業に見えるんでしょうね。「ハロワで十分じゃないか、ヤングハローワークだってあるんだし」と、なくてもいいものをなんとか続けていくために、見るも無惨な形態、つまりミッションなき事業になってしまった。ここにはなんとかサポステを残したい厚労省の現場の方々の戦いがあったと思います。あ、推測ですよ(汗)

実際、「これでは支援の質が保障できない」と、悲鳴を上げているのはミッション性の高い法人です。さらっと書きましたが、悲鳴が聞こえてくる時点で、若者たちのための事業継続の意思と責任をしっかりと持ち、広報戦略ができている理事長のいる団体です。問題なのはミッション性の低い、ミッションよりも事業性の強い、労働者の雇用確保が目的になっているようなところは黙々とやっています。

そういうミッション性の低いところが切られ、ミッション性の高い法人が新規に参入す、ある種の新陳代謝が起こることは、若者支援業界を健全に保つためには、必要なことだと思うんです。ただ、今のサポステの厄介なところは、総合入札制度により、ミッション性の高いところではなく、価格設定の安い法人が選ばれるという点にあります。ぼくはこれを「劣化スパイラル」が起きていると考えています。

とはいえ、でもやめられない、という中毒症状のような状況に実施団体は陥っていたと思います。なぜ、中毒になってやめられなくなるのでしょうか?

2005年くらいでしょうか?サポステ誕生により、多くの受益者負担による収益事業がなくなりました。これはサポステが社会インフラ化し、支援が無料化したためです。これにより、利用料を負担できなかった人たちも支援が受けられるようになったという社会的メリットはもちろん大きかったわけですが、これにより、多くの若者支援団体は、ワンコインを取るのも難しい状況に陥り、既存団体はサポステにシフトするしかありませんでした。これは、受益者を個人から国にシフトするしか経営できなくなってしまったのです。

この少ないパイをなんとかNPO等は分け合って均衡を保っていたようなところへ、大手企業の参入だったわけです。つまり経営課題を解消するためにサポステはなくてはならなくなっていたわけです。ここに中毒性があるわけですが、そのサポステの仕様とNPOのミッションがズレているって、相当ヤバい状況だったと思います。そこへ大手企業の参入ですから、まさに泣きっ面に蜂です。

さて、若者は、支援の対象としてのプライオリティーがなぜ低いのか?

ここから少し話すがドリフトしていきますが、私も同業者として、決して「対岸の火事」では済まない、このプライオリティーに低さの根幹について、考えてみたいと思います。

若者は、世界中のどこの国でもそうですが、不景気になると真っ先に雇用の調整弁とされたり、親の経済状況により大きく人生を左右される社会的弱者であるにも関わらず、若者は支援の対象ではなく、自助でなんとかできる、いや、なんとかしなさいという設定を国はしているんだと思います。

NPOを設立したことのある方や、関心の高い方はご存知だと思いますが、非営利活動として認められている社会課題分野は20種類あって、どういうわけか、この中に若者は支援の対象になっていないんです。若者は、1998年の特定非営利活動促進法ができたときから(そして未だに)支援される対象ではなかったということです。

高校生の支援をしていると、「小中学校までの手厚い支援が高校で途切れる」という言葉をよく耳にします。また、児相案件や養護施設に関わっていると、18歳で支援が切れるってこういうことかと実感することが多々あります。でも皆さん、18歳って十分子どもですよ。

書いてて、「あ〜選挙権があるんだよなあ〜」って思いました。個人的には選挙権の引き下げについて「どんだけ大人扱いしたいんだよ!」って思わずにはいられませんでした。大人扱いがどういうことかというと、支援対象の外の世界である〈自助の住人〉にさせられ、公助からは遠いところに追いやられることなんだと思います。

冒頭の8050問題に、今ぼくは支援者として直面しています。なんでもっと早く、個人の問題ではなく社会の問題として、しっかり手を打てこなかったんでしょうか? なんでプロフェッショナルな支援者が育つよう、若者支援のプライオリティーを上げて来なかったんでしょうか? 若者支援の上げていかないと、本当にこの国がオワコンになってしまうとぼくは思います。そんなことでいいのでしょうか?

最後に、複数のサポステを運営する実施団体のリーダー、文化学習協同ネットワークの藤井さんの現場の苦悩が滲む投稿をご紹介させていただきます。
>もちろん、法人本来のミッションを握ってはなさない努力はしているけど、僕らだってその危機から自由であるわけではないことを知っている。
https://www.facebook.com/higefg/posts/2872704089634460

すべての人をフレームイン!

特定非営利団体活動法人パノラマ
理事長 石井正宏

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