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抱樸の由来

福岡県北九州市八幡東区にその不思議な空間はあります。そこは傷ついた人、行き場のない人、とても苦労してきた人がたどり着く場所。30の居室とレストラン、デイサービス、サポートセンター、そしてボランティア本部などが同居しています。これが「抱樸館北九州」です。
入居に関して条件や資格は一切ありません。だから、いずれの制度にも該当しません。法的には「第二種社会福祉事業」ですが、運営補助金や保険収入は一切ないのです。
最初の「抱樸館」は2007年に山口県下関市に誕生しました。古い旅館の建物を譲って頂き、そこで運営を始めたのです。2006年に起きた「下関駅放火事件」を受けて、繰り返してはいけないとの思いで臨みました。その後、2009年にアパートを借りてシェルターとしての「抱樸館下到津」、2010年社会福祉法人グリーンコープとの協働で「抱樸館福岡」がオープンしました。
そして2013年、何年も計画し、広く寄付金を集め、わたしたちNPOが独自に建設からデザインした初めての施設「抱樸館北九州」が生まれたのです。

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以下は、最初に「抱樸館」と名付けて居場所作りに取り組んだ2007年に掲げた由来文です。奥田知志が書きました。

抱樸館由来
みんな抱(いだ)かれていた。眠っているにすぎなかった。泣いていただけだった。これといった特技もなく力もなかった。
重みのままに身を委ね、ただ抱かれていた。それでよかった。
人は、そうして始まったのだ。
ここは再び始まる場所。
傷つき、疲れた人々が今一度抱かれる場所―抱樸館。
人生の旅の終わり。人は同じところへ戻ってくる。抱かれる場所へ。
人は、最期に誰かに抱かれて逝かねばなるまい。
ここは終焉の地。人が始めにもどる地―抱樸館。
「素を見(あらわ)し樸(ぼく)を抱き」―老子の言葉。
「樸」は荒木。すなわち原木の意。
「抱樸」とは、原木・荒木を抱きとめること。
抱樸館は原木を抱き合う人々の家。
山から伐(き)り出された原木は不格好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨て置かれず抱かれる時、希望の光は再び宿る。
抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁となり、家具となり、人の住処(すみか)となる。杖となり、楯となり、道具となってだれかの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人をなごませる。原木・樸はそんな可能性を備えている。
まだ見ぬ事実を見る者は、今日、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。
しかし樸は、荒木であるゆえに、少々持ちにくく扱いづらくもある。時にはささくれ立ち、棘とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のためにだれかが血を流す時、樸はいやされる。その時、樸は新しい可能性を体現する者となる。
私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私のホームだ。樸を抱く―「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。
ホームを失ったあらゆる人々に今呼びかける。「ここにホームがある。ここに抱樸館がある。」

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もとは『老子』第一九章にある「見素抱樸 少私寡欲」からの引用です。「素を見(あらわ)し樸を抱き、私を少なくし欲を寡(すくな)くす」。つまり「飾らない姿、素朴な気持ちで、控えめにして、欲張らない」。
しかし理事長の奥田が大学時代に出会ったのは、作家住井すゑさんの文章にあった「抱樸」という言葉でした。住井さんは小説『橋のない川』で、部落差別との闘いの実相を描いた作家です。1978年、住井さんは自宅敷地内に「抱樸舎」を建てました。その場所で多くの人々が人権や生きるということについて学んだといいます。その住井さんの「抱樸」という言葉の解釈は、老子の原意を超えたものでした。わたしたちは、下関に居住施設を開こうとなった時に、その住井さんの解釈を引用して館の名前としたのです。

「そのまま抱く」こと。
大切なのは、変化、成長、あるいは問題解決や自立以上に「受容」ではないでしょうか。結果はどうであれ、原木をそのまま抱く。「製材された木」は持ちやすく、抱く者にとって都合がいいです。しかし「抱樸」はそうではありません。原木を原木のまま抱く。「成長」や「可能性」はその後の事。結果がすぐさま出なくても抱き続ける。あるいは、そのままであってもいい。「可能性」という未来が大事なのではない・・・。今生きていることを言祝ぎたい。

その理念は、私たちの活動にそのまま響き合いました。
そして2014年、ホームレス支援におさまらない活動を表す新しい団体名を考えた時、多くのメンバーが「抱樸じゃない?」「難しい漢字だけど、意味を聞かれて答えるところからコミュニケーションしたらいいよね」と声を寄せ、NPO法人の名称に決めました。

もうひとつ、由来文に入れた「重みのままに身を委ね」という一文は、星野富弘さんの詩から汲んだイメージです。

「なんのために生きているのだろう 
 何を喜びとしたらいいのだろう 
 これからどうなるのだろう
 その時 私の横にあなたが 一枝の花を置いてくれた 
 力をぬいて重みのままに 咲いている美しい花だった」

人はみな「弱者」として生まれてきます。放置されたら、すぐに死んでしまいます。しかし、この「弱さ」故に、人は家族や社会、すなわち「身を委ねる他者」を必要としました。「弱さ」こそが強い愛を引き出すのです。
しかし、人は成長につれ「大人とは自立した人であり、誰にも頼らず、自己責任で生きること」と思い込みます。「独りで生きられるのが立派な大人」「他人に迷惑をかけてはいけない」。そこには「孤独」と「寂しさ」があふれていないでしょうか。

誰かを「抱く」時、それは同時に「抱かれる」ことをも意味します。「抱樸」は身を委ねることなのです。
そしてまた、原木は、抱かれることによって「変化」します。「抱かれる」ということは、他者と出会うということだからです。他者との出会いが「自分とは何者であるか」を知らしめます。

わたしたちの「抱樸」の解釈において最も特徴的なのが「絆は傷を含む」ということでしょう。これは老子にも住井さんにもないものです。

「樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。」

人と出会い愛すると、時に傷つきます。支援現場でわたしたちが繰り返し経験したのは、そのことでした。「絆」を平仮名で書くと「きずな」です。言葉遊びのようですが、最初の二文字は「きず(傷)」。「きずな」には常に、「きず」が内包されているのです。
余裕のない人は、むやみに出会わないのが得だし、安全だと思いがちです。でもそれは一番危険な選択となります。血を流してでも自分を引き受けてくれる人の存在が無ければ、わたしたちは自分の危機にも可能性にも気づくことさえ出来ません。

「抱樸」が目ざす社会は「傷を前提とした社会」です。重い傷にはひとりで耐えられません。だから人は「社会」を形成しました。社会とは「より多くの人が誰かのために健全に傷つくための仕組み」。今こそ、本来の社会の意味を取り戻したいのです。

「傷」は出会った証拠。「傷」なき出会いなどあり得ないかもしれない。
でも、私たちはその先に、抱き合う豊かな暮らしを見たいと願います。


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