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色褪せることのない、隔たりのない9ヶ月間

これから約1~2年、1人ではほとんど観ることないであろう、カンボジアの地方の景色。昨年に現地調整員として仕事していたコンポントム州の小学校教員養成校に行って、プロジェクトから退くこと、4月からはしばらく日本に帰ることを伝え、挨拶しに行った。

のどかで、ゆったりしていて、道を歩いていたら見知らぬ外国人である自分に「バイク乗ってくかい、後ろ空いてるよ」と声をかけてくれるおっちゃんがいて。

プノンペンからコンポントムに向かう道中。ゆっくりした時間を大切にできる場所。

どれも、日本の地方でも味わえる日常なのかもしれない。だけど自分は、これまで日本の地方の日常にほとんど溶け込んだことがなかった。だから、今はまだいつになっても新鮮だし、素敵だなあって感じるし、ここで過ごしてみたいなあと。素直に思う。

昨年のプロジェクトの際には、体調を考慮してタクシーで向かわせてもらっていたが、今回はバスで向かった。狭々していて過ごしにくかったが、それも一種の愛嬌のように感じていた。

行きも帰りも、バスの中では本を読んでいた。「世界は開いているから、味わってみるのもいい」。著者は村山哲也さん。昨年まで参画していたプロジェクトを紹介してくださり、今も親交を持たせていただいている方だ。
(村山さんが書いているブログはこちら↓)

20~50代で、いわゆる発展途上国と呼ばれる国々の現地で教育支援の仕事をしていた村山さんが、“越境先で出会ったこと、味わったこと、考えたこと”を日記のように書かれているのが本の内容だ。

コンポントムに向かうバス内での読み物として、うってつけの本だった。本の各タイトルが、村山さんが各国で口にしたものになっている。それと同じくらい、現地に溶け込んだ話が盛りだくさん。現地で見てきたこと、感じてきたことをリアルに書いてくれているからこそ、現地に溶け込めるような感覚を持たせてくれる。旅をしながら、旅をさせてくれている。そんな気分だった。
(気になる方はこちらからぜひ↓)

最近は、お金を得るための仕事が日常の8割を占めている。社会人なのだから、まあ一般的なことだし、それが資本主義の中で生きていく、ということなんだと思う。主語が大きすぎるから語弊になりやすいかもしれないけど。

そんな日常って、自分を必死にコントロールしようとする。
「この時間にはこのタスクを進めて、もう少しでMTGが始まって、。あ、もうこんな時間だ、早くこれ終わらせないと、、。終業した、夜この仕事終わらせとこうかな、いや、でも今日は夜予定あるしな、、、。夜中にするか迷う、でも夜中やったら明日きついなあ、、、、。」

自分をコントロールするのに必死だから、8割で生きてしまう。いや、もちろん自分で決めたやりたい仕事をやらせてもらえているし、最高の仲間と仕事できてるし、これ以上ない環境なんだけど。
“ないものねだり”というやつだろう。“足るを知る”ことと日頃から行き来している。

そんな最近を過ごしていたからなのかな。いま書いていて自分でも気づいたが、『現地の先生たちや通訳さんにきちんと挨拶したい』と同じぐらい、もしくはそれ以上に『カンボジアの地方に1人で行く』ことに飢えていたのかもしれない。

本に読み耽っていた時間も過ぎ、いつも泊まっていたコンポントムのホテルに着いた。

コンポントム パレスホテル。3~4回ぐらい泊まったかなあ。

初めてここに来た時のことを思い出す。自分で立ち上げた団体で、色んな選択肢を度外視して1人でカンボジアに来て、自分がコトにとことん向き合える仕事の機会をいただいて。高揚感を持って乗り込んでいた。約1年後の今日は、落ち着いた気持ちで、街の一挙手一投足を眺め、色んなことを振り返っていた。

普段はプノンペンにいるから、同じカンボジアでも街の様子は全然違う。
今はプノンペンの24Hカフェで書いているが、周りにはPCを開いていたり、模造紙広げて絵を描いていたり、スマホ片手に談笑している同年代がたくさんいる。
コンポントムにはおそらくない光景だろう。
時間、カフェ・道路という身体を置いている場所の違いがあって、コンポントムで夜のカフェに入ったことはないが、そう感じさせられるカンボジアの都市と地方だ。

日本のプロジェクトメンバーの方々との昼食を済ませ、学校に向かった。

このホテルで自分にとっての定番チャーハン。カンボジアのチャーハンも、日本と変わらずどこで食べても美味しい。

先生たちが思っていたよりも少なくて残念だったが、現場にいた人たちにはきちんと挨拶をすることができた。思っていたよりも短い時間で済んだ。「そうか、日本に帰るのか」というぐらいの感覚だっただろう。まあそれもそうだ。

ジェイン先生、チェイムホン先生。心優しいお二人です。
陽気で気さくなボクトン先生。日本で全然見つからない喫煙所を一緒に探したことが良い思い出と話してくれて、尊い思い出だなあと。
リムテン先生。体育、サッカー指導のエキスパート。彼と一緒に体育の授業作っていきたかったが、まあ仕方ない。

自分にとっては4月から日本を拠点にすることが、自分の人生において大きな決断。だけど、身近な仕事仲間たちを除くと、そうでもなかったりする。1年前の自分が「あと3年はカンボジアで目一杯やりきる」と決めていたことなんて、ほとんど公言していなかったし知らないのだから。

それでも、ちゃんと挨拶できたことは良かった。相手にとっては大したことない報告でも、より良い社会,未来を願って一緒に仕事をした仲間だし、一緒に日本に行って貴重な時間を過ごした同僚なのだ。懐かしい話もできて、心置きなく現場を後にすることができた。

現場の生徒たちと一緒にサッカーの授業に参加した場所。いま思えば貴重な経験で楽しかったな。
先生役として、50m走の探求授業をやらせてもらった場所。これも本当に貴重な経験。現場の先生たちに少しでも何か残っていれば良いなあ。
コンポントム州小学校教員養成校の出入り口。お世話になった場所に一礼する自分ルールは、15年間野球をやっていた自分にはどうしても抜けない習慣。

喫煙者同士のボクトン先生とタバコの話をしていた流れで、ポルポト時代にあった、コンポントム州小学校教員養成校での様子の話を、笑いながら、時には真剣な面持ちで話してくれた。
ここで水を貯めるための穴をずっと掘っていたらしい。11歳のころ、穴掘りを終えた夜にタバコを吸い始めたのがきっかけだったという。草を自分で巻いていたとか。

通訳さんにも充分様子を伺いながら、当時のことや彼らのことをどう思っているのか聞いてみた。「もちろん、彼や政権を作っていた人は良い人たちではない。悪い人だ。だけど、当時は11歳でそんなことは知る由もない。」

この言葉を聴いて、

『歴史の教科書にとってはきちんと1ページに掲載されるほどの出来事かもしれないが、彼らにとっては、これまでの人生、生活の中のごく一部。大局で考えさせてくれる環境が自分にはあっただけ。そこに隔たりはあるようで、隔たりを作ろうとしてはいけないのだろう』

と、改めて強く感じさせてくれる出来事だった。

去年、パレスホテルに泊まりに来た夕食を、通訳さん、ドライバーさんと共にしたレストラン。写真を撮ろうとしたら、その場にいたカンボジア人がシャッターと同時にピース。こんなお茶目さがあるカンボジア人が大好きです。笑

帰りは、学校からバス停まで歩いた。40分ほど歩く距離だったが、いつも通り歩きたくなった。好きな音楽を聴きながら、頭を整理できる好きな時間で、コンポントム州訪問を終えることができた。


今日1日だけでもこんなに振り返れる自分がいて少しびっくり。それだけ、想い入れのあるプロジェクトだったし、自分にとって大切な人たちだし、身近な人たち。
今後しばらくは一緒に仕事をすることはない。もしかしたら、一生ないかもしれない。
それでも、自分にとってはかけがえのない9ヶ月間だったし、色褪せることのない日々だった。

『身近な人が夢中になっている姿を死ぬまで見続ける』
『どんな社会(=2人以上存在する空間)になってほしいかを常に定義づけて、楽しみながらその社会に向かう人を増やす』

今はこんなライフミッションを掲げながら、柔軟にしなやかに今後も定義づけていきながら、また明日からも楽しく頑張ろうと思う。

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