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コラム「境を越えた瞬間」2022年11月号-本間武蔵さん‐

プロフィール

本間 武蔵(ほんま むさし)

都立神経病院リハビリテーション科 作業療法士

都立府中リハビリテーション専門学校卒
1986年都立松沢病院、1994年多摩総合精神保健福祉センター、2001年中部総合精神保健福祉センターをへて2003年より現職。
神経難病患者さんのリハビリテーションに従事しながら、コミュニケーション方法の開発にこだわりをもって取り組んでいます。

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ともに歩むマイボイス


私は患者さんの「困った」に応えるべく作業療法士です。
しかし、それでは患者さんが「困った」を発信しない限り介入しないことになります。リハビリの学生の時から、自分から患者さんに「提案」していく関わりがあるのではないかと心の奥深くで考えていました。

2003年より都立神経病院に勤務しています。
最初のALSの患者さんは1年近くも意思伝達装置を練習していましたが、名前や住所の文字入力で疲れ果てていました。その方自身もお医者さんであり、そこで主治医に向けたメッセージ作りを提案しました。すると、病気のことだけでなく死生観や倫理観など1日中パソコンに入力し続け、1週間でほぼ全機能をマスターしたのです。この時、伝えたい相手に伝えたい内容と思いがあれば、境は越えられるということを目の当たりにしました。

その約1年後、たまたま言語聴覚療法の音声分析装置の不調で呼ばれ、音声が波形として目に見え、波形ごとに保存できることを知りました。
私はある女性ALS患者さんに声を録音してみませんか?と「提案」したのです。ご本人は「?」という表情でしたが、「あ」「い」「う」「え」「お」…を録音し、「」に続いて「」そして「」、「」「」と順番に再生してみたのです。
その瞬間、その方は泣き出し、私も嬉しくなって、手を取り合って喜んだのです。

この場面は、今でも時々思い出します。

そしてフリーウエアHeartyLadder開発者の吉村さんに相談し、自分の声ソフト「マイボイス」を開発していただき、患者さんと試しては改良をまたお願いすることの繰り返しの日々となりました。1年に1,2人から始まって80人を越える頃、新聞やテレビで紹介され多くの方の希望と期待を背負うようになりました。
最初の頃の患者さんと違い、最初から「もとの声」が出てくるという期待に少しでも応え「(これは)私の声です」と言ってもらえるように様々な改良や工夫を重ねていく毎日でした。毎晩3時間から4時間くらい時間を費やす生活が15年以上続いています。

どうしてこれだけマイボイスに夢中なのかと考えると、やはり最初の患者さんと共に手を取り合って喜んだあの瞬間が職業人生を決定づけた、私にとっては境を越えた瞬間だったと感じられてならないのです。
そもそも音声合成の世界を全く知らずに、ALS患者さんと一緒に感じた喜びによって入り込み、少しの改良でも心から喜ばれる患者さんたちとともに突き進んだ結果、現在は、ほぼ「私の声です」と言っていただけるマイボイスになりました。こういう職業人生を送れることに驚きと至上の喜びを感じている次第です。


文字の波形(傘)

マイボイスとは、将来自分の声が失われると分かっている難病(特にALS)の患者さんの声をあらかじめ録音し、声が失われた後もパソコンを通して再生することを可能にするソフトです。

http://user.keio.ac.jp/~kawahara/myvoice.html


境を越えてでは、毎月「境を越えた瞬間」というテーマで、福祉や医療、障がいに携わる方にコラムの寄稿を依頼しています。
2022年4月号よりnoteでの掲載となりました。
それまではメールマガジン「境を越えて通信」での掲載となっていましたので、バックナンバーを順次noteへ掲載しているところです。バックナンバーもぜひご覧ください。