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「ゼロ・トレランス問題」自分で考える

「問題児隔離教育の是非」

大阪市で提案された「ゼロ・トレランス方式」について、賛否両論の意見が飛び交っている。それぞれの環境の違いによる見解が、この問題の本質をぼやかす結果に繋がっているように思える。まず、何故、このような指導方式が提案されたのか、原点をしっかり見つめることが必要だろう。

社会全体として、生命の尊厳、個々の人権を踏みにじる行為が多発している。ある意味、差別という事も含め、正常に反応すべき事柄に人々の感覚が麻痺しているとしか思えない光景が実に多い。都議会のセクハラ発言が大きな社会問題となっているが、世界を代表する東京の議会で、性的差別、人権無視、女性蔑視が公然と行われ、その発言に都知事までも笑みを浮かべる。都議会議員が直ぐばれる嘘を平然とつく。都議会自民党の幹事長に至っては、中学生からも言語道断の四字熟語が発せられた。彼らから見て、「平気で嘘をつく神経が理解できない。東京都の議員の程度の低さに呆れる」とまで言わしめた。この環境が子どもの世界にどれだけの影響を与えているか、それぞれの立場の大人は真剣に考えるべきだ。「いじめ」の構図そのままの議会、これでは、大人が、教師が、親が、幾ら子ども達を諭しても、子ども達は聞く耳など持たぬだろう。また、子ども達にまで責任を負わせてしまう社会の未熟さ、傲慢で、都民や国民を無視した政治姿勢が、今後、日本社会にもたらす影響(勿論、悪影響)は計り知れない。

「ゼロ・トレランス」この指導法が問題なのではない。現実に、今起こっている教育現場の出来事を直視し、どのように対応すべきかを考える事だ。それだけ現場は切羽詰まっている。まずは、予防。幼い内から、しっかりとした人間形成を築かせる環境を整えることが重要だと思う。既に、子ども達の問題行動は小学生から始まっている。その殆どが「躾」という大切な親からの贈り物を受け取っていない。つまり、家庭の問題なのだ。子ども達の言葉遣いなどはその典型だろう。(このゼロトレランス問題は、6月26日発売の女性セブンで特集が組まれている。是非お読み頂きたい。)

社会に出来た歪みは、弱者、そして子ども達の社会で「いじめ」「仲間はずれ」「暴力行為」「破壊行為」と変化していく。疲弊した社会、生活から彼らの鬱憤が爆発する。今、日本社会は大きな二極化の波が訪れている。貧富の差は力関係の差となり、知らぬうちに差別へと発展する。政治の世界を見ればお解りだろう。都議会でも国会でも、数の論理が力の論理となる。多勢に無勢、セクハラ野次も、数の力で葬り去られようとしている。こうした光景を目の当たりにすると、以前にも申し上げたが、日本国憲法や民主主義を子ども達に指導しても空しさが残ると現場教師は言う。荒れる子ども達を見ていると、その背景にある大人達の醜さが見えてこないだろうか。

子ども達の起こす反社会的な行為に、様々な問題にどう対処すべきか。実際に、学校時代問題を起こし、今では立派に社会人になった人達に聞いてみた。私は、ゼロ・トレランス指導に賛成の意をテレビで言い切った。しかし、それは、教育者とした彼らを見放す事とは正反対の意見として述べた。彼らにも未来がある。また、同時に他の生徒達にも大きな未来がある。だから、手を差し伸べなければならない。学校で起きる刑事罰が適用されそうな行為に及ぶ子ども達に対し、教師は実に無能だ。教師の殆どが、人生の成功者が多いからだ。だから、第三者の手助けが必要になる。昔暴れた経験のある人は、学生時代問題を起こし、社会に出て初めて自分の取った行動に恥ずかしさを感じるという。だから、彼らに伝えたいことがあると言う。それは、彼らと同じ過ちを犯した人達、また、過ちを犯そうとしたが踏みとどまった人達だから言える心のことばだからだろう。彼らの声は、真実の声だから、「現在、同じ境遇の子ども達にも聞く耳を持つ筈だ」と言い切る。様々な人の手助けを借り、彼らが本来進むべき道に戻す。大人の責任であり、大人のけじめでもある。賛成、反対の論を戦わせるより、まずは行動だ。文殊の知恵を出し合い、彼らのために行動すべきだと思う。だから、隔離ではない。実は、表面に出てこない、内向的な子ども達もいる。彼らは、瞬間に間違った行動を取ることが多い。芽を向けるべきは全ての子ども達であることを忘れてはならない。

2014/6/28


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川先生監修!

幼児教室・学習塾のキッズスクールアップル富ヶ谷
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