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流星ラジオ/1

自分がラジオというものと触れ合い始めたのはいつ頃かな?。自分が子供の頃はテレビというものは一家に一台だった。だから家族の共有スペースにあるもの。みんなで見るもの。そういう存在。だから、宿題やる時とかの時間は別にして、居間でテレビを見て過ごす時間が多かった。テレビは家族のものだから、いつもいつも自分が見たいものを見られるわけではない。テレビの番組は今も変わらないように、大して面白くもないし、選択の幅も多くはなかった。当然、テレビのチャンネルの選択権は父親が持っているわけで、ニュースやプロ野球の中継が映っていることが多く、子供には全然興味なんてない。そのうちに居間で時間過ごすこともあんまり好まなくなる。だからといって自分の部屋で勉強するとか本を読むという風にはならないわけで。ところが中学生になった頃、ラジオというものを買ってもらった。きっと自分がねだって買ってもらったのだろうが、自分の手元にラジオがやってきた経緯はちっとも思い出せないし、その時の感情も全然思い浮かばない。ま、嬉しかったんだろうけど。それがラジオとの出会い。
ラジオがあれば、もう居間で過ごさなくてもいいし、家族が寝静まった後も自分だけの世界を楽しむことができた。学校で友達間で交わされる前日のテレビ番組の会話について行けなくなったのはこの頃から。それは未だに続いている。こうやって振り返ると、テレビを見るという習慣がないのはこの頃から始まっていたのかと改めてびっくりだ。それもラジオが原因だったのか。けっこう自分にとってはラジオってのは重要な鍵を握っているのかもしれない。それで、ラジオで何聴いていたのかな?。記憶を辿る。リクエストで構成される音楽番組。ラジオで自分のハガキが読まれたりすると発狂するほどの悶絶狂喜乱舞。それとオールナイトニッポンなんかの深夜番組。こんなの聴いていて、よく次の日学校に行けたな。今じゃ考えられない。深夜番組が終わった後の朝方。もうどこの放送局の番組も聞こえない。ダイヤル回してもザーザーとホワイトノイズだけ。でも、かすかに音声が。朝鮮語。遥か異国の言葉が届いてくる奇跡みたいなもの感じて眠りに落ちていった。
ハガキのリクエストとか、ラジオで聴くラジオ番組とか。昔の当たり前は今では逆最先端的でもあり、ある意味かっこいい。ラジオを取り巻く環境は自分が初めてラジオに出会った頃から想像もつかないほど変化を遂げたけれど、ラジオという仕組みの根本は変わっていない。音声でつなぐコミュニケーション。テレビ>インターネットと新しい装置が登場しても淘汰されることはなかった。ラジオの魅力は奥が深い。ハガキやラジオという機器はレトロでニッチなものになっているけれど、ラジオというコンセプトは今も第一線で活躍している。このレトロとフロントラインという反するような概念が両立しているラジオのチャームポイント。この点をグッと引き出せるようなプラン捻り出して行こうかなという算段。

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