流星ラジオ/イントロ
めくるめくような無限の急展開と予想もつかない圧倒的に迫り来る映像。時間も空間も軽く超えていく世界。目を閉じて休眠&睡眠している自分の体。それなのに自分が感知している世界はどこまでも自由だ。自分に都合の良い場面も都合の悪い場面も次々に更新されていく。そして、忘却の彼方に追いやられていく。目覚まし。アラーム。そして覚醒。夢遊と覚醒の間のぼやっとしたグラデーションのような意識はスヌーズの回数と共にきっちりと枠組みの輪郭線の中にカッチリとはめ込まれていく。眠る前にあった出来事と目覚めた後、ここにいる自分はちゃんと脈絡が合ってる。眠っている間に横浜から上海に移動はしていないし、恐竜時代にも移動していなかった。頭の中では日本語が起動してスマートフォンからtwitterの文字列やインスタライブの音声から情報を受ける。布団の中にいてまだ誰とも顔は合わせていなくても、多くの人が歩んでいるルールのレールをきちんと自分もなぞっているわけ。こうして社会にカチッとはまることで効率よく生きていける。
それでも、人の集合体である社会は完璧に機能するプログラムじゃない。人と人は身体的にも精神的にも近づけばそれだけ軋轢起こすし、ストレスたまる。それなのに今足を置いてる社会を別のものに変えることはそうそう簡単にできない。だから、目の前に展開されている枠組みから人目を避けて、ちょっとずれてみたり、一時消えてみたりする。完全な逸脱、消滅してしまったら元も子もないから、そこは注意深く、仮想的トリップ、仮想的スーサイドあたりにとどめておく。社会で生き延びるためにはこんな風に自分を殺す涙ぐましい努力が必要。こうやってバランスとって何んとか日々やり過ごす。そういうものだよね。
そんな達観した物言いに何も感じなくなるほどの長い時を過ごしてきたのに。ふと言葉が頭の中をよぎった。現実で生き延びるために自分を殺す>現実自体を変えてしまえばいいんじゃないの?。こんなパラダイムシフト。辟易&ストレスのリアルから現実逃避で息継ぎ継ぎして生きてるなら、いっそ辟易&ストレスのリアル自体を変えちゃえばいいんじゃないか?。具体的、簡単に言えば、別の仕事に就く。引っ越す。離婚する。とか?。そういうことかな?。人って目先の現実には文句ばっかり言ってるけど、実際にその現実を変えようとかいう局面に立たされると、途端にコンサバで先送り原理主義者に豹変しちゃうんだ。文句言ってる現実で自分を殺して生きている方が本当は楽だ。楽だから現実の沼に延々と浸かっていたわけで。これからもそうやっていくんだろう。
もしかしたらそんなカルマを抜け出す日がやってこないわけでもないだろうが。今の所は楽を手放さないように今の現実に留まったまま、仮想の現実をこしらえてみるって提案はちょっとおもしろいのでは?。別の会社への入社するための履歴書を書いてみるとか。自分で起業するための企画書作ってみるとか。別の結婚相手を見つけるまでの恋愛小説書いてみるとか。資金とかリスクとかを伴わない仮想のプランやプロジェクトを作り上げてみる。これも現実逃避と言われたらまさにその通りなのだけど。万が一の未来。自分の現実を更新できるチャンスが訪れないとも限らない。そのチャンスに行動をすぐに起こすことができるプランが準備できていたら。。。。そんなつもりで未来の仮想プランを妄想してみるのもいいんじゃないの?。リアルを変える隙間を見つけることができるかもしれないという希望を持って!!。
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