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Last Supper

食べること。
記録したり。
人に見せたり。
そういう意識多分ない。
でも生きるために食べる。
って追い詰められたような環境にいるわけでもないし。
食べることに罪の意識なんかもちろんないし。
いやむしろ食べることが日々の一番の至福でさえある。
と思うけど。
よくさ。
最後の晩餐。
自分が死ぬ前に最後に何食べたい?。
なんての言ってるよね。
死ぬ直前に食べることなんて意識すんのかな?。
食べるってことは生きるってことと同義のような気がするだけどな。
うまいもの食って。
さ、死にましょうか!!ってなんのか?。
って疑問は愚問。
まだ死に際の経験一度もないんでなんとも言えないから。
なのでそういうことは置いといてと。
みんなは最後の晩餐のオーダーはどうする?。
あったかいご飯に卵かけご飯に味噌汁。
肉汁滴る分厚いステーキ。
お母さんが作ったカレーラース。
あー、こうやっていろんな食べ物を思い出してる段階でアウトだね。
お腹すいてきた。
世界は美味しいものに満ちてるって思い知らされる。
それが口に届くまでの妄想に支えられて人は生きてんのかなって思うぐらいだ。
そこで本題というか。
自分だったら何?。
最後の晩餐という話。
バタピーとコーラかな。
これっきり最後。
あとは何も食べられないんだよって時になんでそんなもの?。
ってなるよね。
人に奇異な感じ与えて歪んだ注目浴びるのが快楽。
まさしく天邪鬼発揮ってとこだ。
でもねこれってマジなわけで。
長いこと生きてきて。
あ、ここで一瞬でも次に食べる予定立たないって場面何度かあった。
最後に残されたコイン。
いつもコーラを求めた。
炭酸と甘味は満腹感与えてくれるし。
口内に放射される刺激は生きる実感を蘇らせてくれた。
そういう記憶は体に刻まれたタトゥーのように消そうとしても消せない自分の生きた証みたいなもんだと誇っている。
嘘だよ。
そんなこと誇れるようなことじゃないしね。
ただ好きってだけ。
コーラが。
バタピーも。
同じだよ。
人生の中でどうのこうのなんてじゃなくて。
好きなだけ。
ふとよぎるけど考え。
コーラにバタピー。
どっちも胃袋が欲してるものじゃない。
口が求めてるものかな?って思う。
やっぱね。
最後に願うこと。
身体が生き残ろうとする本能を担っている胃袋に食物供給する意図が希薄なんだなって。
自分。
口内が貪る快楽。
そこに優先順位持ってちゃうんだと思った始末。
で。
しめます。

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